フレイザーキャニオン600kmブルベ奮戦記

(2001年6月16,17日)

 

BCランドナークラブ員: 米光 昇

 

プロローグ

私が日本人に対してBCランドナーのブルベを開放することを提案したのが、昨年末の月例委員会の席、そしていよいよ日本からの挑戦者達を受け入れる準備などが整い、6月中旬の600 kmブルベを栄えある最初のトライアルとして選択したのは、わずかに二ヶ月前。日本から勇気ある4名の方が当地に来てくれることになりました。実走4名、視察、サポート2名という今回のメンバーの内訳は以下の通りになりました。

 

実走組:   草野さん(サイスポ編集部)

                   須藤さん(“とれとれ”のベテラン)

                   澤田さん(ルートNで女性では唯一のバッジ750保有者)

                   井手さん(百里大王にして東京・糸魚川の常連さん)

サポート・視察組

                   加藤さん(スターバイク代表)

                   石丸さん(“とれとれ”主催者にして、かつての日本縦断日本記録保持者)

 

石丸さんは当初、実走するはずだったのですが、サポートカーの運転及びに雑誌取材のための写真撮影を行うため、今回は出走を見合わせることになりました。今回の実走組は草野さん、須藤さんの若手男性組は登りの速さを生かして一気に走り、井出さん澤田さんの女性組は豊かな経験と安定したペースで、と言う、日本を代表してチャレンジしていただくのに最適な人選となりました。

澤田さんは、視覚障害を持っていて、昼間の視力でもかろうじて路面状況が判断できる程度、夜間走行では実質的に全く見えていないと言うこともあり、安全面と新しい自転車に慣れるということを考慮して、皆よりも1週間早くカナダ入りし、私、米光と機材面の煮詰めや調整、そして試走を繰り返して本番を迎えました。他の5名は出走2日前に現地入りという強行軍となりました。

私は今回は基本的に澤田さんをサポートしながら自転車で走ると言うスタンスを取ることにし、速い人には他のBC州のメンバーを追いかけてもらうことにしました。澤田さんとの夜間走行では、私が前を走って路面を選ぶと同時に、私の自転車や、ジャケット、シューズに取り付けた反射テープからの光を頼りに私の体の傾きや速度、ペースを読み取って澤田さんに走ってもらうと言う事を行いました。これは、実際にコースが非常に起伏に富んでいて、しかも一部未舗装の区間があることを考えると非常に難しいものがあることは明らかです。実際、そうした夜間走行のストレスが後々大きな負担になったのは、残念なことでした。

今回のコースは、最初と最後の112 km区間が一箇所11% 3 kmの登りがあることを除いては、ほぼ平坦、しかし常に強風が吹き荒れるコース。残りの区間はほとんど平らなところのない、上っているか下っているかと言う、いわゆるローリング地形の難コース。フレーザー川の渓谷を折り返し地点キャッシュ・クリーク(標高海抜450 m)まで登り詰めて帰って来るという非常に簡単なルート。単純な一本道で、地図読みの負担からは開放されますが、谷を吹き抜ける風にさらされて風向きによっては厳しい走りを強いられます。しかも天候も不安定で、高気圧がくれば谷を吹き上げる強烈な南西の熱風、低気圧であれば雨混じり、時には雪混じりの冷たい北東の風が谷を吹き降ろすことになるのです。ライダーは従って地形だけではなくて、厳しい寒暖の差、激しい風とも戦わなければなりません。BC州の600 kmの中でも指折りの難コースとして知られる今回のキャニオン600 kmは、ある意味でブルベの本当の面白さを味わえる名コースでもあるのです。実際、BC州でもトップレベルの選手であるエリック・ファーガソンは、このコースがもっとも素晴らしいコースと絶賛しているくらいです。私自身もこのコースを是非とも日本のチャレンジャーに味わってもらいたかったのです。

 

ブルベ本番

スタート準備など

ブルベ当日朝4時、私は自宅から自転車でスタート地点へ向かいました。妻と子供の調子が今ひとつで、家族のために自動車を残していったほうが良いだろうと言う判断と、我が家からスタート地点までは50 km程度なので、ウオームアップにちょうど良いと判断したからでした。天候は曇り、前日小さな低気圧が通過した、その残りで時折小雨がぱらつく程度と、走りやすいコンディションの中、スタート地点そばのホテルで日本からの参加者達と始めての顔合わせ。6時半、全員がそろってスタート地点まで移動しました。キャニオン600 kmという厳しいコースにもかかわらず、いつもより多目の参加者が集まってきました。

 

第一区間(ピット・メドウズからシーバード・アイランド89.9 Km)累積距離:89.9 km

皆なんとなくスタート。出走直後は慎重に押さえ気味に走ります。その走りを見て、イギリスからきたブルベのベテラン、ヘンリーが僕の脇に寄ってきて、にこりとしながら、「Very Clever, you are very clever」と呟いたのが印象的でした。彼とはレースなどでも一緒になることが多く、色々と教わる機会も多いので、お褒めの言葉は嬉しかったのです。時速28km平均を目処に走っていましたが、澤田さんが平地で時間を稼いで貯金したいと言うので、下り及びに平坦では時速33km/hまで速度を上げ走りました。しかし、平坦と言ってもゆるいアップダウンがあり、見ていると澤田さんの速度がそのたびに15から18km/hの間に下がるのです。どうやらトルクを要求される走りには慣れていないというか、対応し切れていないのが分かります。これは後々大きな問題になることが予想されました。

結局この区間は平均時速27.2 km/hで走り抜け、コントロールでテッドやウェインにサインしてもらいました。スターバイクの加藤さんがすばやくおいしいサンドイッチを作ってくれたのをほおばり、更に売店で買ったポテトチップスなどをアイスティーで流し込みました。須藤さんはコントロールでのんびりしすぎて我々に追いつかれたのですが、結局先に出発していきました。

 

第二区間(シーバード・アイランドからボストン・バー 91.9 km)累積距離:182.1km

最初の24.7 kmは平坦路で、折からの軽い追い風に乗って順調に距離を稼ぎます。そして、ハイゥエー1号線との合流点から道は左に折れながら、いきなり急勾配で上り始めます。天候は曇りで気温はまずまず。最初の坂の中腹でジャケットなどを脱いで温度調整をします。登りでは澤田さんに自分のペースで登ってもらうために、先行してもらいます。ここまでは平均時速で27 km/h程度と、割と速めでしたから時間的には貯金があるので、のんびりと疲れないペースを心がけてもらいました。トンネルや橋等は私が先行して路面を選んだり、車のこないタイミングを見計らったりしながらの走りです。

やがて道は急峻なヘルズ・ゲートに向かって登り始めました。この頃から澤田さんは私が後ろにつくのを好まず、私が先行しながら要所要所で止まって待つ方法に切り替えました。実際私の今回のギア比が若干高め(フロント53 x 42T、リア 12 x 23T)だったために、澤田さんの前でペースを作ろうとすると、直進することさえ難しかったのです。

天候は次第に良くなってきて、日が射し始めました。そうして気温があがると同時に、谷を吹き上げてくる風が強くなってきました。私は追い風になって、非常に条件が良くなったので嬉しかったのですが、澤田さんは横風が吹く回数が増えて走りにくくなったと感じていたそうです。なかなか、快適な条件と言うのは個人差があるものだと改めて気づかされました。

ボストン・バーのキャニオン・アルパイン・カフェでは、スターバイクの加藤さんと石丸さんが新鮮なイチゴなどを用意して待っていてくれました。そして、20分ほど先行していた須藤さんもまだコントロールでのんびりしていました。草野さんはエリックやピーターたちの集団とともに、ここを1時間半前に通過していったそうで、順調に走っているようでした。そんなことを聞いた後、私にとってはお馴染みのカフェに入って、そこのおばちゃんと軽口などを叩きながらコントロールカードにサインをしてもらって、水を補給したらすぐに出発です。須藤さんは我々より10分ほど前に一人で出発していきました。井手さんは我々の後ろ20分くらいのところを走っていたようです。皆、それぞれのペースでここまでは順調に距離をこなしていきました。

 

第三区間(ボストン・バーからスペンセズ・ブリッジ 75.2 km)累積距離:257.3 km

この区間が実は今回のブルベでも最も難しい区間なのです。標高こそ低いものの、ひっきりなしに繰り返される上り下り、そして気温がじりじりとあがり始めます。しかも途中約20 kmの未舗装区間は道幅も狭く、その出だしが急勾配の登りと言う事もあって、精神的にショックを受けた参加者も少なくなかった様です。ただ、この区間の小砂利は、あまり鋭利なものではなく、河川礫のようなものだったので、私は全然心配しておりませんでしたが。気温があがり、ほこりにまみれての走りは決して楽しいものではありませんでした。結局この区間に2時間近くかかったのは大きな痛手でした。

未舗装区間を過ぎたところで雲行きが怪しくなってきました。即座に雨具で完全防備して走り始め、約1000メートルも行ったでしょうか、角を曲がったとたんに雷を伴った激しい通り雨です。その雨の中、スペンセズ・ブリッジのコントロールであるモーテルに着いたのは、午後744分でした。コントロールカードにサインをもらおうと部屋に入ると、そこには双子のターミネーターと言われるキース・フレイザーとテッド・ミルナーが出発の準備をいそいそとしていました。彼らは既に折り返し地点からの復路だったのです。テッドは今回のライドの主催者でありながら、キースと共にここから走って帰るといって、他の人にコントロールを任せて雨の中、出発していきました。結局キースはこの後、608 km23時間30分と言う記録で走り抜けたのでした。

 

第四区間(スペンセズ・ブリッジからキャッシュ・クリーク折り返し地点 46.8 km)累積距離:304.1 km

さあ、日没までのわずかの間にどこまで距離を稼げるかが大切ですが、ここからもまだまだ登りが続くのです。走り始めてすぐに、まずヘンリーが向こうから手を振りながらやってきます。彼も流石に速いなあ。それから更に30分くらいして、向こうから機関車のようなものがやってきます。すれ違いざまに「ノボー!」と言う叫び声を残して高速ですれ違ったのは、ジョン・ベイツとディネル・レイドローのタンデム。そしてそれから200 m位後ろをピーターが追いかけ、それにぴったりとついて美しいフォームで流れるようなペダリングでエリックが走り抜けていきました(ちなみにこのエリック、風貌や走り方がかつての名選手トミー・ロミンガーに似ているのです)。いつもニコニコ、エリックは本当に楽そうに、楽しそうに走っていきます。内心ちょっとだけ恨めしく思いながら我々はキャッシュ・クリークを目指してゆっくりと、しかし確実に前進します。

更に前方に白いBCランドナーのジャージが見え始めました。その特徴のある低い走行姿勢は、シェリル・リンチ(かつて40kmタイムトライアルでカナダ・チャンピオンにもなったことのある女性)です。その後ろ、約2 kmを走るはベリー・チェイス、昨年の600 kmの覇者ですが、今回は風邪が治らずに苦戦しています。その後ろ、約10分して日本人の先頭、草野さんが走ってきました。この頃には周囲は真っ暗になってしまいました。

1時間もした頃、ラリーたちが追いついてきました。彼らは私たちよりも走行速度は速いのですが、コントロールのたびにレストランに入ってのんびりとコーヒーを飲んだり、フレンチフライやハンバーガーなどを食べたり、のんびりと道中を楽しむ名人達なのです。そんなわけで彼らとは、全行程を通じて抜きつ抜かれつを繰り返しながら走りました。

この夜は気温もそれほど下がらず、非常に走りやすい条件でした。月は新月のため真っ暗でしたが、先ほどの通り雨もやみ、空には満天の星空。私は澤田さんの前を走っているので余所見は出来ませんでしたが、時々休憩で立ち止まるたびに、空を見上げて、その吸い込まれるような眺めを楽しみました。

1110分、ようやく折り返し地点のキャッシュ・クリークの町につきました。例によってスターバイクの石丸さんが写真を撮ってくれます。フラッシュが光って一瞬目が見えなくなりながらの到着。おなかが減って、とにかく何か固形物を食べたかったので、早速ドライブインでスープとサンドイッチのコンボをたのみます。隣のテーブルではラリーたちがスパゲッティミーとソースをうまそうに食べています。そういえばPBPの時もラリーは楽しそうに皿にいっぱいのパスタをほおばっていたのを思い出しました。ここのコントロールでも須藤さんに会うことが出来ました。ここまででは30分ほど先行していたのに、結局彼は我々と一緒に出発することになったのです。もう少し効率よく走ればかなり良いタイムを出せるのでしょうが、まあ、のんびりと行くのも楽しいものです。色々とお話が出来て私としては楽しかったのですけどね。

 

第五区間(キャッシュ・クリークからスペンセズ・ブリッジ仮眠モーテル 46.8 km)累積距離:350.9 km

だんだん眠くなってきました。コーヒーをがぶ飲みして、レジのオネーチャンをからかいながら、ようやく重い腰をあげます。外では石丸さん達が写真を撮ってくれます。ラリーとその友達も私たちに合流して、5人で一緒に出発です。でも町を出てすぐのところの坂で、須藤さんとラリーたち3人がそのまま先行。

そして、ものの10分もしたでしょうか、町を出てから4 kmも行かないところで現在の最終走者である井手さんとすれ違いました。まだまだしっかりとした足取りで走っていらっしゃったので、まさかキャッシュ・クリークで自転車を降りてしまったとは、そのときは思いませんでした。後から思えば、このときに彼女を待って、3人で走れば全員完走するチャンスがあったと思うのですが、そのときはそんなことを知る由もありませんでした。

深夜過ぎの真っ暗な道は車通りも少なく、私にとっては楽しい時間ですが、澤田さんは私の自転車の赤いテールライト以外には全く見えるものはなく、苦しい走りを強いられていたようです。しかもかなり体力的にも消耗してきたのか、上り坂に差し掛かると立ち止まって休憩するようになりました。私自身は勤めて気にしないように、星空を見上げたり、周囲を見回したりして睡魔に捕まらないように努力していました。そんなこんなでようやく仮眠所のあるスペンセズ・ブリッジに帰って来たのは午前253分。コントロールでは、今朝一緒に出走したボブ・ボーズが私たちの到着を寝ないで待っていてくれました。スペンセズ・ブリッジのコントロール終了時間(往路は深夜129分で閉鎖)に間に合わなかったためにリタイヤしたのです。彼は今年69歳になるサレー市の市長さんなのですが、その温厚な人柄と自転車を心より楽しむ、そのチャレンジ精神にいつも感銘を受けます。彼はいつもどおり暖かな笑顔で、「元気かい?よく走っているね。カシャさんは今回は走らないのかい?クリス君も元気?」などと世間話をして、こちらをねぎらってくれました。私たちが休まずに出発すると告げると心配しながら「ちょっとでも寝たほうが良いんだけどなあ。君はどんな状況になっても大丈夫だけど、相方の方は疲れているように見えるよ、道中気をつけてな。」と言ってくれました。ひょっと横を見ると須藤さんがベッドに横になっています。何時まで寝るの?と聞くと、「明るくなるまで」と言う返事でした。いつもニコニコ、この元気なら全然問題なしですね。私もちょっとで良いから横になりたかったのですけど、そうしたら眠ってしまうのは明らかですから、ここはじっと我慢の子。先ほどがぶ飲みしたコーヒーの効き目がまだ残っていることを期待しながらコントロールを後にしました。

 

第六区間(スペンセズ・ブリッジからボストン・バー 75.2 km)累積距離:426.1 km

午前315分、まだ暗い中を出発です。最初は20kmの未舗装区間。これを抜ける間に周囲が明るくなってきました。ようやく午前4時半に通過したときには完全に明るくなって、私はライト類を全て消しました。ここからは多くの登りをこなさなければなりませんが、幸い気温は低いので、谷を吹き上げる風がなく、ほぼ無風状態です。計算では昼を過ぎると風が強くなるので、それまでに渓谷の中の道を全て下りきってしまいたかったのです。しかし、やはり寒い。しかも登りでのペースのため、体が温まる機会がないのです。そこで澤田さんに御願いして、しばらくは自分のペースで先行してもらって、私は10分から15分ほど道の脇で横になって居眠りをして、それから全力で追いかけると言うことを繰り返しました。こうすれば私は体も温まり、しかも眠気も払拭できるからです。しかも澤田さんに先行してもらうことで、万が一何かがあった場合にも私がそれに対処することが出来ると言う考えだったのです。

午前6時、道端で寝ているとシェリルがやってきました。彼女は昨晩5時間の仮眠をして、明け方4時半にスペンセズ・ブリッジを出発、もう追いついてきたのでした。彼女の作戦も、午後の強風が吹き始める前に渓谷を抜けてしまうと言うものでした。そうして、その頃にはキースやエリックたちは既にゴール寸前だったのです。スピード、スタミナ、経験を兼ね備えた彼らは、結局速く走れるだけではなく、気象条件や地形をうまく解析して、最も効率よく、最も少ない疲労で走りきってしまうのです。遅くなるほど、激しい向かい風や午後の高い気温などの中での走りを強いられることを、今回の走りで再認識させられた次第でした。そんなことなどをシェリルとしばらく話をした後、彼女を先行させて、5分ほどしてから私も重い腰をあげて走り始めました。そこから数キロ走ったところで、スターバイクの方々が写真を撮影してくれました。加藤さんは澤田さんが一人で走ってきたのであれ?と思ったそうですが、私はそこで立ち止まって事情を説明しました。そうしていると、後ろから例の高速タンデムがやってきました。モーテルでゆっくりと休んだジョンとディネルの二人組のさわやかな笑顔を見て、「この野郎」と思いましたが、少なくともしばらくは一緒に走れる仲間が出来たので眠気も吹き飛びました。朝5時半に出発してもう追いついてきたのです。単純計算でも我々の平均速度の3倍で走っているのです。

通常タンデムと言うのは登りが遅く、下りと平地が速いというのが定評なのですが、彼ら二人に関しては、その説は当てはまらないようでした。上り坂になると立ちこぎでぐいぐいと走っていくその姿は、機関車以外の何者でもありません。あれは人間ではない、以前からジョンのことをそう思っていましたが、今回の件で確信した次第でした。ちなみにジョンたちはタンデムでエリックたちと対等以上の走りをしていました。ジョンがタンデムに乗ると言うので、少しは遅くなるのではと期待した我々が馬鹿でした。彼はサイボーグだったのです。恐ろしい。下り坂では彼らの後ろにドラフトしているのにもかかわらず、向こうが全然ペダルを踏んでもいないのに、ついてゆくことが出来ません。スピードメーターはそのとき時速90 kmを越えていたのです。凄まじい。そんなことをしていたらすぐに澤田さんに追いついたので、ジョンたちに別れを告げました。その後は誰にも追い越されることなく、午前917分、ボストン・バーのカフェに到着。スターバイクの加藤さん、石丸さんや、井手さんが出迎えてくれました。思えば、ここで止めておくべきだったのかもしれません。カフェに入り、スープとサンドイッチを注文、おばちゃんに例によってカードにサインしてもらっている間、澤田さんはテーブルに突っ伏して眠ろうとしていました。

そうこうするうちに、今度は草野さんと須藤さんがカフェに入ってきました。草野さんは7時間か8時間眠られたようで、膝の痛みに苦しみながらも元気そうでした。須藤さんは相変わらずのニコニコ顔で3時間の睡眠時間にも係わらず元気そうでした。そんな和気藹々とした朝食のテーブルに音もなく背後から巨体の白人が近づいてきました。なんと、ボブ・マーシュです。奥さんのパティと、例によってボランティアと言うか勝手に車でコースを周回して皆の様子を気遣ってくれていたのです。ひと時楽しい会話を交わし、腹のそこから気持ちよく笑わしてもらった後、コーヒーを流し込んで出発です。澤田さんも少しは元気になったようでしたが、これからヘルズ・ゲートの山を反対側から登るという作業が残っているのです。しかも日は高く上がり、気温もあがり始めました。私は全行程ではじめてレッグウオーマーをはずし、気温の上昇に備えました。

 

第七区間(ボストン・バーからシーバード・アイランド 91.9 km)累積距離:518.0 km

さあ、気合を入れていこう!出発直後こそ、皆一緒でしたが、まず須藤さんが先行、そうして上り坂がきつくなったところで軽やかなダンシングで今度は草野さんが抜け出します。その頃になると、登りでの時速が8 km/hを切るようになりました。トンネルが出てきたのですが、もう既にダッシュする力は残っていないようで、とにかく車にはねられない様に、慎重に走ることにしました。でも明らかにふらふらしているのがバックミラーでも確認できます。私はトンネルに入る所でテールライトを点灯すると同時にサングラスをはずして口に咥えていたのですが、一箇所危ないところがあって、思わず「澤田さん!私の後輪のまっすぐ後ろを走ってください!!」と叫んでしまいました。次の瞬間、私のお気に入りのルディ・プロジェクトが、カランカランと音を立ててトンネルに落ちてしまいましたが、どうすることも出来ません。そこからはサングラスなしで強い向かい風と紫外線に目がさらされることになりました。

トンネルを出たところで鋭利な砂利がたまっていて、澤田さんの後輪のタイヤサイドを切ってしまいパンクです。スペアのタイヤがないので、とりあえずタイヤの内側にパッチを当て、新品のチューブを入れて修理しました。

澤田さんは完全に疲労困憊して、特に目の調子が悪くなっていました。強烈な向かい風と紫外線にさらされて、目の焦点が合わなくなってきているのです。木陰で目を閉じて休むようになりました。走りながらボトルの水を頭からかけたりしてあげましたが、もう、ほとんど自転車に乗っていられない状態になってきました。ほぼ1キロごとに立ち止まって道端にうずくまります。一番近い町イェールまであと3kmと言うところで、私はついに澤田さんに、車を呼ぼうと提案しました。そして、とにかく町まで歩こう、と言うことになりました。200 mほど自転車を押して歩いたら、澤田さんは乗れるから、と言うので残りの数キロを自転車で走り、午後320分、ボストン・バーから53 km地点のイェールの町に入りました。ここまでの平均速度は約時速8.3 km/hです。

ガソリンスタンドで水道の水を頭からかぶってもらい、その間に私は次のコントロールであるシーバード・アイランドに待機している加藤さん、石丸さんに連絡を取ろうと走り回っていました。そして、「ちょっと困った事態だから」と伝言したのが「非常事態だから」と言うことで伝わったらしく、それからまもなくバンから2人が飛び出すように出てきました。そして、開口一番出た言葉は「何だ、大丈夫じゃん!」でした。

澤田さんは、「制限時間までに間に合わなくても良いから行ける所まで走りたい」と言うのです。ただ、どう見ても危ない状態です。そこで、石丸さん達に車で着いてきてもらいながらしばらく走って様子を見ようと言うことになりました。イェールを出発して道は軽い上り下りを繰り返します。登り始めでは、がんばって時速18 km/hくらいを出しているのですが、明らかに無理をしているので持続しません。下りではペダルに足を乗せて回しているのですが、トルクが全く掛からない状態なので車体がふらふらと左右にゆれます。しかも強い向かい風が吹きます。私はイェールのガソリンスタンドで安いサングラスを買ったので、お陰で目をやられずに済みましたが、澤田さんには大変そうでした。ゆるい下りにもかかわらず、向かい風の中で時速は7 km/h以下に落ちました。ちょっと先の空き地では加藤さんや石丸さんが首を振りながら待っています。このペースで残りの120 kmを走ることはまず不可能です。制限時間というだけではなく、私は翌日月曜日から仕事があります。結局、残念ながらここで澤田さんには自転車を降りていただくことにしました。午後357分でした。

さて、私はどうしようか、、、。次のコントロールまでおよそ40 km です。そのコントロールの閉鎖時間は532分。およそ1時間半でこの距離を走らなければなりません。しかも猛烈な向かい風です。道は最初の15 kmは下りでしかも南に向かいますから、風の影響は後半よりは少ないはずです。最後の24.7 kmは真西に向かって吹きさらしの道です。疑問は、この後半の区間で時速25 km/h を維持できるかどうか、です。ぎりぎりの走りになることが予想できました。しばらく判断をぐずっていたのですが、腹をくくって行こうと決めました。挨拶もそこそこに、私は全力で走り始めました。結局ハイウェー7号線との交差点に着いたのは午後4時24分。ということは、約8分の貯金がある計算です。従って時速25 km/hを維持できれば脚きりの8分前に間に合う計算になります。猛烈な向かい風の中、エアロバーを握り、その間に頭を入れるようにして下を見たまま走り始めました。何箇所か、登りがありますが、それをほとんど無視してペダルを踏み倒しました。結局この区間は平均時速を何とか25.3 km/hで維持して、午後5時19分、脚きりのわずか13分前にコントロールに飛び込んだのでした。

 

最終区間(シーバード・アイランドからピット・メドウズ 89.9 km)累積距離:607.9 km

ぎりぎりでも間に合い、ちょっとだけほっとしました。ここから後残りは約90 km、自分の力であれば、あまりむきにならなくても間に合います。コントロールに指定されたレストランに入っていくと、ラリーやデイブ達が夕食を終えて出発するところでした。皆、一様に私を見て驚いた顔をしながら、「間に合わないかと思ったけど、やっぱり凄いなあ」と言ってくれました。私は最終区間に備えて、何かまともなものを食べたかったので、「先に言っていてくれよ、後から追いかけるから」と言って彼らと別れました。随分と急いだつもりだったのですが、それでも高速で走るために食料などの買出しを怠らなかったので結局皆の後を追い始めたのは、連中が出発してから38分も経ってからでした。

相変わらずの向かい風です。連中の速度が時速20 km/h前後と試算して、こちらが時速27 km/hを維持しようと決めました。それでも追いつくのに2時間掛かる計算です。一人で走るのはモチベーションを維持するのがこういった場合には難しいのです。「別に追いつく必要なんてないじゃん」、そう考えれば走る気持ちが萎えます。それから1時間40分間、強い向かい風や11%の登りを一人で奮戦していましたが、いよいよ集中力が切れてきました。後ちょっとでミッションと言う町に入る手前で私はタックポジションを解いてしまいました。そうしてちょっとだけ流していた、そのときです。私の左手に来て、速度を落とす見覚えのあるピックアップトラック。「Hey, you are almost there, son!」ボブ・マーシュです。この人は、私はいつも辛くなる、その瞬間にどこからともなく現れて力をくれるのです。私が「一生懸命走ってきたのに、デイブたちに追いつけないんだ、、、」というと、彼はあきれた顔をしながら「お前、頭を上げて前を見てみろよ!」なんとそこにはデイブの特徴あるペダリングをする姿が見えました。「有難う」そういって私はサドルから腰を上げ、あっという間に彼らに追いついたのでした。

デイブは事故で頭部にひどい怪我を負って、後遺症のために体の右半分の自由が利きません。彼の独特の走り方は遠くから見てもすぐに分かります。そうして、追いついた後は、皆でおしゃべりでもしながらのんびりいくことにしました。「どうせビリなんだから、ただ終わるのではなくて、完全なビリになってやろう」と私は考えたのです。これは実はラリーも同じ事を考えていたようで、売店に寄って、アイスクリームを買ったり、寄り道したり、、、。これにはデイブたちが呆れて先に行ってしまいました。最後のとどめは、ゴール2キロ手前で今回の日本の方々が宿泊されていたホテルの前を通過したところ、偶然全員が夕食に出かけるために駐車場に集合していたので、そちらに寄り道して5分くらい立ち話をしていたのです。「ざまーみろ、俺こそが今回のドンケツさ!」と思って走り出すと、最後の最後にあった信号で見覚えのあるやつが立ち止まっているのです。ちぇっ!ラリーは、しっかりと私のことを待っていたのです。

そんなこんなで、午後1020分、出走からなんと39時間20分後にようやくブルベを終了しました。草野さんと須藤さんは結局最後は一緒に走って、共に37時間45分でゴールされたそうです。トップはもちろんターミネーター、キース・フレイザーの23時間30分でした。ヘンリーは24時間台、エリックたちは25時間台だったようです。

 

エピローグ

さて、一通り「だらっー」とした感じでお互いの健闘をたたえあった後、帰路につくことにしました。といっても私は更に50 km自転車で走るつもりでした。ところがデイブが、「俺の家までは乗せてってやるから」と言って私を行かせないのです。仕方がなく、彼の車に乗り込みます。車を発進させながら色々な世間話をします。でも、なんか我が家に近づいていないのです。「で、お前の家って、どこなの?」と聞くと、「あのな、ニューウエストミンスターの南東の端っこだよ」とデイブ。「あのなぁ、俺の家はUBCの中なんだよ、これじゃ全然近くならなどころか、車に乗っている時間分だけ遅くなっているじゃないか!」

結局、彼の家から更に45 km走って我が家に着いたのは午前一時。それからシャワーを浴びて(と言ってもカシャに眠れん!と叱られてシャワーを中断せざるを得なかったので、一番楽しみにしていたお風呂に入りながら手作りのビールを飲む、というお楽しみがお預けになってしまった、、、。がっかり。それじゃ俺は何のために走ったんだ?)、布団にもぐりこんだのが午前2時半。午前6時半には起きて、子供のお弁当を作り、彼を学校まで送って9時に出勤。何をしているのでしょうか、私は??

 

反省と後記

今回の日本からのチャレンジャー達には、ブルベを楽しんでもらえたのではないかと思って居ります。決して高速で走るわけではないのですが、走りかたや、厳しい自然条件に対処していく、そうしたノウハウの差が、最終的にタイムになって現れますから、走りだけではなく、そういったところにも楽しみがあることが分かっていただけたと思います。経験を積むにつれ、かなり年齢が高くても以前よりも速く走れるようになる可能性も大きく、その辺が比較的平均年齢の高い参加者をひきつけている要因の一つだと思います。第一人者であるキース、ヘンリー、エリック、ピーター、やジョンと言った連中の走り方や走りそのものを見ることが出来たと思いますし、彼らが42歳から50歳程度であると言うこともお分かりいただけたと思います。走りそのものは決して楽ではなかったでしょうし、コースも難しい部類に入りますが、これでトレーニングや走り方の目標が明確になれば幸いです。

また今回ブルベの運営を視察されにいらした加藤さん、石丸さんには、こちらのお気楽な、しかし文化と歴史に支えられたランドナー遊びの雰囲気や背景を理解していただけたものと思います。

今回のコース選択は、他のBC州のメンバーの意向を取り入れず私が独断と偏見で行いました。厳しい条件で厳しいコースになる可能性は承知の上であえて皆様に来ていただきました。私は日本で走っていた経験から、日本人ライダー達の能力が優れていることは知っていますし、この程度のイベントを走りきれる人は日本に山ほどいることを知っています。だからこそ、難しいイベントに挑んでいただいたのです。ただ、これが最も難しいコースかと言いますと、そうではありません。タイムなどを見ていただければ分かりますように、今回は気象条件や風に恵まれ、近年まれに見るほど走りやすかったのです。コースの難易度も、たとえば昨年のものと比べればかなり楽だと言わざるを得ません。

完走された男性二人は、力は十分にありますから、あとは経験を積めば速くなります。残念ながら走りきれなかった方々には、基本的にコースが難しすぎました。これは私の責任であります。反省して居ります。ただ、登りや向かい風でもそれほど速度を落とさないようにするために、負荷をかけてペダルを踏むことに慣れるトレーニングが必要です。いざと言うときのスピードは大きな武器になります。私が今回完走出来たのは、ひとえに必要なときにスピードを出すことが出来るからです。ですから、何時間も自転車に乗って練習する必要はなく、短時間で高い負荷をかけて練習することが大切になります。

毎年、ブルベに参加して周りのレベルなどを見ていると、やはり今回のコースを完走出来なかった人はPBPやロッキーを完走出来ておりませんから、その辺も何かの判断材料になると思います。

 

皆様、御苦労様でした。何らかの形でこの経験が思い出になり、将来の自転車遊びに役立つことになれば幸いです。今回のブルベ参加に関しまして直接的、間接的に皆様から助けていただきましたことに対し、この報告書という形でお礼に代えさせていただきたく存じます。有難うございました。

 

 

敬具

西暦2001620

Vancouver にて

米光 昇

 

参考資料:今回のブルベのタイムシート(コントロールカード)

 

Distance (km)

Open

Close

Locale

Establishment

Yonemitsu/ Sawada

Kusano

Sudou

0.0

7:00 am

8:00 am

Pitt Meadows

Esso service station

7:00 am

7:00 am

7:00 am

89.9

9:39 am

1:00 pm

Seabird Island

Seabird Island Café

10:18 am

9:50 am

10:09 am

182.1

12:21 pm

7:08 pm

Boston Bar

Canyon Alpine Café

2:49 pm

1:15 pm

2:30 pm

257.3

2:40 pm

12:09 am

Spences Bridge

Acacia Grove Motel

7:44 pm

5:17 pm

6:53 pm

304.1

4:08 pm

3:16 am

Cache Creek

Husky service station

11:10 pm

8:45 pm

10:40 pm

350.9

5:36 pm

6:24 am

Spences Bridge

Acacia Grove Motel

2:53 am

11:10 pm

2:04 am

426.1

8:00 pm

11:24 am

Boston Bar

Canyon Alpine Café

9:17 am

9:37 am

9:33 am

518.0

11:04 pm

5:32 pm

Seabird Island

Seabird Island Café

5:19 pm

3:25 pm

3:25 pm

607.9

2:05 am

11:00 pm

Pitt Meadows

Esso service station

10:20 pm

8:45 pm

8:45 pm

 

 

BCランドヌール

http://www.randonneurs.bc.ca/

 

ルート

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