http://www.bike-joy.com/er030830-2.htm

 

 

http://pbpvillaines.free.fr/Pages/Page_Photos/Pages_Photos_2003/Photos.htm

途中のPCのホームページのスナップ写真集です。よく見ると日本人も。

http://parisbrestp.cvf.fr/servlet/RechPassage

上記URLにてゼッケンを入力すると個人のPC通過時間が確認できます。

 

市川誠
1910
フランスでは大変御世話になりました。
PBP感想文下記致します。

PBPに参加して、睡眠の重要性を再認識するとともに
PBPでは良き睡眠を考慮した長期的計画を立てる必要を感じた。

1日目の夜、眠気に襲われるたびに道端にうずくまった。
約30分うずくまり約30分走るサイクルを4回繰り返した。
2日目の昼間、目の錯覚がたびたび出現すると同時に
救急車のサイレン音や耳障りな電子楽器のような
耳鳴りが続いた。
2日目の夜、現実か妄想か区別がつかない感覚になった。
酩酊してすべての感覚器官がまひしている感じで、
自在にコントロールできる夢を見ている感じだった。
道端にうずくまった回数は十数回に及んだ。
凍死すると真剣に考えた。
3日目の日の出ころ最後のCPに到着した。
日差しが強くなりアップダウンの地形が心地よくなってくると
最後くらいがんばろうと前向きな気持ちになった。
が、1時間位でまた眠気に襲われ道端にうずくまった。
走り始めても道端か病院のベッドで夢を見ているという
妄想がゴールまで続いた。

最後に、
高い目標意識とか特殊な外部環境が眠気を抑え込んでくれる
と淡い期待をしていたが、絶対にありえないとわかった。
 
吉田映子
4499
 
管利治
4500
 
加藤孝
4501
PBP無事完走してきました

加藤です。
PBP無事完走して来ました。

初めての海外サイクリングがPBP、しかも完走出来たなんて夢のよう。
以下概略を報告します。

1日目、90時間組は22時から15分毎に500人づつスタート、ぼくは夜22時
45分スタートとなる。歓声と拍手に送られてサンカンタンを後にする。
90時間後無事ここに帰ってこれるだろうか?一瞬不安がよぎるがすぐに忘れて走り
に集中する。
今日は約450キロのルディアックに翌日夜24時ころ到着の予定。(変な言い方で
すね)

フランスは夜は20時ころまでは昼間のように明るく21時ころ日没、22時には
真っ暗となる。
パリから郊外に出ると街灯なし、行き交う車なし、家もほとんどなく見えるのは見渡
す限り黒々とした大地と、薄黒い夜空に瞬く星、それに延々と地の果てまで続くラン
タンルージュの列!!これはPBPでなければ見られない光景であろう。これがPBPなん
だ!本当にPBPに来ているんだ!思わず胸が熱くなる。

朝日を背に受け、日中の暑い日ざしを浴び、夕日を見つつ、そして日没をながめなが
らひたすら走り、そして真っ暗な夜をなおも走り続け、ようやくルディアックに到
着。サインのあとサポートカーを見つけ裕子さん炊き出しのおにぎりと持参のカップ
ラーメンを食べる。日本チーム最速の市川さん(約62時間で完走)と会う。ブレス
トを折り返しパリに向かう途中である。すごい速さだ。彼はパリに向かってすぐ出
発。第二陣はこの日ブレストで仮眠したらしい。
ぼくは完全野天でレスキューシートにくるまるがひどく寒い。白人は短パン半そでで
寝ているやつがいる。どうなっているのかね。ぼくだったら凍死している

2日目、仮眠5時間。きょうはルディアックからブレストを折り返しルディアックま
で約320キロの予定。
時計を見ると朝7時近い。みんなもう出発している。あわててなにも食べずに飛び出
し、1時間ほどで腹が減ったなと思っているとシークレットCP。ここで食事をとれて
助かった。朝は寒く、冬用の手袋が欲しい。バナナを補給食に持って出発。

10時ころから暑くなりウォーマーを取る。コース最高地点を通過、とうとう大西洋
を見る。もう半分来てしまった。
ブレストの大きな吊橋と湾内に見えるヨット、きれいな港町である。
ブレストからだいぶ走った街のカフェでジャンボチーズオムレツを食べるが、大変お
いしい。しかし無理して全部食べたため胸焼けして苦しかった。夜24時ころルディ
アック到着。サポートカーの横でレスキューシートにくるまる。一応予定どおり走れ
ているが、便秘で出きらず苦しい。。

3日目、仮眠2時間。目覚めて時計を見るとあまり寝ていないのに元気なので自分で
驚く。
ルディアックからヴィラインジュエルまで約320キロの予定。
CPの食事はほとんどがフランスパンの長さ5〜60センチはあろうかというサンド
イッチ(カスクート)とスープ、コーヒー、紅茶、コーラ、ビール!にワイン!など
サンドイッチの中身はハムとチーズ。味はまあまあだが、飽きてくるのと固いのでの
どを通りにくくなる。
ポタージュスープは塩が薄く、極めてまずいが、食わなきゃ走れないと思い無理して
食べる。いわゆるポタージュとは違い澄まし汁に野菜を細かく刻んだものが入ってい
る。フランス革命以前からの農民の食事なのであろう。バターをたっぷり使ったポ
タージュスープは宮廷料理なのではなかろうか。

ほとんどのCPとCPの間が80キロほどあり途中で食べないと持たない。補給食はカス
クートの残りかポリ袋に塩とゆで卵、バナナ、スニッカーズなど。
夜明けは6時ころからで非常にゆっくりと太陽が昇るのを見る。地平線から太陽が昇
るのを見るのは初めてで感動する。しかし非常にゆっくりなのでいつまでもまぶし
い。
ヴィラインジュエルには夜25時ころ到着。野天の仮眠はいやなので食堂のいすを集
めてベッドにし寝た。ヒロセに乗る山口君と会い一緒の場所で寝る。

最終日、仮眠2時間で目覚める。みんな疲れきっていて、床にもいすにも眠る人だら
け。
ゴールのサンカンタンまで約140キロ、ここまで来れば完走はもう大丈夫、後は事
故らないよう注意して走るだけだ。
この日も日の出を見ながらゴールへ向けてひた走る。
暑くなってから30分ほど仮眠。こうして12時半ころサンカンタンにゴール。大歓
声と拍手に迎えられ感動。

走行中の仮眠は道端で30分を計2回ほど、普段睡眠不足に極端に弱いぼくにしては
信じられないほど短い睡眠で走りきれた。
やはりアドレナリンが期待通りに出ていたのだろう。

マシントラブルはは前ギアをローに落とすと内側に外れること、フリーの21と19
のギアでの歯飛び、ランプ取り付けのガタ。
前ギアは自分で、フリーはコントロールポイントの自転車屋で調整してもらった。ラ
ンプは放置。パンクなし。

フランスの道はやはり非常に荒れていて、コロンバスSLXと太いタイヤの絶妙なコン
ビネーションは実に快適。
ディスクホイールは下りの高速コーナーであおられ怖かった。失敗。見た限りではぼ
くのほかに誰もいなかったし、めずらしがられた。

日本チームの補給体制はルディアックに補給車が固定。往復で自分の荷物が受け取
れ、同時にご飯の炊き出しがあった。
ぼくの携行荷物はリュックとサドルバッグに、パスポート、ブルベカード、スペアタ
イヤ1本、ウォーマー、電池、ウィンドブレーカー、工具、食料、水等である。着替
えはパンツを毎日取り替えよう思っていたがめんどくさくて1回交換しただけ。
電池交換はなし。LEDとハロゲンの併用が義務といわれていたが実際LEDのみでOK。あ
とはサプリメント類とスペアタイヤをサポートカーに搭載していたが使い切れずに終
わった。

天候は晴れ、但し昼間の暑さと夜の寒さの差が大きく、仮眠時間が短いのは寒くてよ
く眠れなかったこともある。
特にレスキューシートのなかが結露して寒くてたまらなかった。

しかし雨が降らなかったのは本当にラッキー、夜雨に降られた日には寒さとモラール
ダウンでリタイアしていたと思う。
それとミスコースせずにすんだこと、これは夜2回ほど左折するべきところを直進し
てしまったが、後続のフランス人から
道が違うと叫ばれ事なきを得た。道案内はロータリーや曲がり角に行きはピンク、帰
りはブルーの矢印をつけた板が貼ってあるが、きわめて見難く、特にぼくは目が悪い
ため見逃しやすかった。この案内板は記念に1枚ゲット、最高のお土産になった。
(もちろん、終わってから石丸氏に頼んでもらったものです)
でも石丸さんの話では本番中自転車につけているやつもいたとか。

行き交う車からは大声でアレアレー、夜でも昼でも町を通ると、老若男女が家の前に
立って応援していてくれたり、家の人が総出でコーヒーや紅茶、ケーキを振舞ってく
れている。
あるところでコーヒーとクレープをご馳走になっているとき、ドイツ人と隣り合っ
た。フランス人は親切でうれしいねと言うと、彼らフランス人は自転車のことになる
とクレイジーだという。確かにそういう見方も出来るけど、フランス人の自転車文化
への理解の深さを知らされるように思う。ほんとに自転車が好きなんだね。

他国の参加者の車は、いろいろあるが一番目立ったのは平凡なロードレーサーにゴム
ロープ、アダプターを介してリアキャリアを取り付け、そこにタッパーやポリ袋、あ
るいは箱型のバッグをくくりつけていた。
タイヤはやはりクリンチャーが圧倒的に多かった。意外だったのはフランス製の布の
重たいバッグ、名前を度忘れしたけどあれを使っている人が多かったこと。

お年寄りが多かったこと。(白人は老けて見えるけれども)

日本チームは参加20名、完走12名、リタイア8名。
なおヒロセ号の3人は全員無事完走しました。お世話になりました。そして応援して
くれた皆さんありがとう。
実に楽しかった、この次はみんなで行こうね。

加藤 孝
takashi@ya.catv.ne.jp
須藤好
4502
須藤(4502)です。
事務局、加藤さん、石丸さん、参加者の皆さん、日本での応援の皆さん有難うございます。自分にとっては2年前を、思い出します。カナダの600kmです。そのときも完走できるか、わかりませんでした。そのひとつの課題が自分にとっていつもいい目標になっていました。いつも事務局の両氏には、お世話になりすぎ、面白いことも提供してくれ有難うございます。
ニュースで猛暑といっていましたが、パリは暑さは問題なく。秋の気配さえ感じ取れます。1200kmのPBPは無事90時間以内で怪我も無く完走できました。検車の為、会場入りしたのですが、自転車の数と人々にびっくりしました。自転車の世界的イベントを伺わせるメイン会場の看板の所にカナダチームの写真撮影を見たが、人数の多さとジャージがそろっているのが、印象に残ります。その顔は笑顔が絶えず、自信に満ち溢れているような気がします。昼間は30℃近くあがりますが、湿度が低いせいで、快適に走れ、夜は走り始めはカッパを着るほど寒かったです。
世界各国の方々との集団走行、自転車の国ならではのツールの醍醐味を体感できました。起伏の続く畑を、自転車をこよなく愛する人々達の小さな町を抜け、ペダルをまわす間に言葉に通じないが、同じ目的を持つもの同士の見えない連帯感が生まれたような気がします。小さな町を通過するときも、真夜中なのに私達を一生懸命、応援してくれます。疲れていて疲労しているの体に元気が沸いてくる感じです。ゴールに辿りつくと完走した人たちを称えるその拍手は駐輪場まで鳴り止みません。世界各国の人たちと走れるなんて夢にも思いませんでした。
貴重な体験をさしてもらいました。参加して本当によかった自転車の国、フランスに有難う。
ちょっと残念なのが、完走したことを、米光氏に報告できないことです。
それでは失礼します。
池田年広
4503
 
西垣敦郎
4504
 
高橋裕晃
4505
 
坂東司
4506
 
鈴木政弘
4507
 
泉浩司
4508
いずみです。 昨晩後発のグループ無事成田につきました。 応援してくださった皆さまにとても感謝しております。 ありがとうございました。 そして、ともにフランスで走った皆さまお疲れ様でした。 松本さん、小泉さん、ありがとうございました。 何よりも、石丸さん、加藤さんには、大変お世話になりました。 ありがとうございました。 フランスでの自転車の地位は、まさに理想です。 猛暑の予想は、見事に、はずれ寒さに震える事が、 しばしばでした。 ヨーロッパの人たちの走りの速さには、驚かさればかりでした。 地形も日本では考えられないほど広大できついものでした。 これからPBPを目指している方は、総合的な、トレーニングが 必要と考えられます。 今回の参加者から追々レポートされると思いますが、 大げさなようですが、いろいろ今から少しずつ準備をと考えてます。 夢のような世界から、現実に引き戻されて、また頑張なといけませんね それでは。
山崎光太郎
4509
 
今富栄治
4510
 
白木緑
4511
最高だったPBP、感謝を込めて

白木 です。

日本で応援していただいた皆様、ありがとうございました。
最後、なかなかPCタイムを更新できずにご心配をおかけしました。
私がモルターニュ オ ペルシェのコントロールに到着したときには、閉鎖時間を大
幅に過ぎており、すでに撤収作業が終わろうとしていました。にもかかわらず、オフィ
シャルは私の願いを聞き入れて、ブルベカードへのサイン、磁気カードを通し、「タ
イムアウトかどうかは終わってみなければわからない、パリ目指して走れ」と励まし
てくれました。その時点でタイムアウトが確定しているのは私も承知してたし、オフィ
シャルの回収車も用意されてました。でも、そこであったすべての人が、タイムアウ
トなんて関係なく、走りたいならパリまで走り続けろと言ってくれたのです。これこ
そ、パリ ブレストの4日間ずっと見せつけられ続けた自転車文化の深さの根元なの
だと感激、私は再び走り始めました。
でも、「もうあと100kmちょっとじゃないか」と何度自分を言い聞かせても、押し寄
せる睡魔には勝てず、1100kmを過ぎた地点で限界、私のPBPは終わりました。

現地に行ってみなければわからない、スタートしてみなければわからない、といった
手探りのなかで、一緒に闘った仲間は私にとって大きな財産です。加藤さん、石丸さ
ん、サポートの小泉さんがどれだけ私たちのために神経をすり減らし、寝る間も惜し
んで働いてくれたか、身にしみました。また、遠く日本で見守ってくださった皆様の
おかげで、完走はできなくても「PBPは楽しかった、最高だった」と、胸を張ってい
い切れる自分がなにより嬉しいです。

PBPレポートはサイスポ10月号(9月20日発売)に掲載します。私自身の参加手記もあ
りますが、日本人全参加者が初めてのPBPをいかに闘ったかがメイン記事です。なお、
参加者の皆様、これだけはぜひ言っておきたい、ということがあれば、今ならまだ間
に合いますので、直接白木までメールをください。

とりあえずは、感謝の気持ちとお礼まで。

片桐恭弘
4512
 
斎藤喜康
4513
齋藤@つくばです。 本日より現実世界に復帰しております。 PBP期間中、いろいろと応援いただきありがとうございました。 また、ご心配をおかけいたしましてすみませんでした。 今回私は実力及ばず773km地点のLoudeac でリタイアという結果に 終わりました。皆様のご期待にお応えすることができなかったことを お詫びいたします。 しかし、個人的には悔しいというよりも楽しかったという思いの方が 強いです。 PBPは本当にスケールの大きな最高のサイクリングイベントでした。 そこに参加できたこと、その場を共感できたこと、それだけでも十分 満足です。完走の喜びを味わうのは、また次回にとっておくことにし ます。 延々と続くテールライトの長い隊列, 丘また丘の雄大な光景, 町中の教会の鐘の音, 沿道の観客の「ジャポン!」という声援, 何度も抜きつ抜かれつして走ったラテン系の女の子の元気な「ハロウ!」 の笑顔と、キャリアに積まれた熊のぬいぐるみ, フロントバッグとパニアバッグを装備した自転車で軽々と坂を駆け上がる 初老のサイクリストたちの力強い姿, 深夜、猛スピードですれ違った先頭の大集団, ジェットコースターのように坂を下っていったリカンベント, Roc Trevezel(コース最標高地点)からの雄大な眺め, ブレストの町の青く美しい港湾, ブルターニュの満点の星空と、一際明るく輝く火星, 牧場地帯の甘みがかった独特の匂いと、自分自身の匂いがそれに近づいて いく妙な感覚, 道端で寝ているサイクリストの姿, 冷たい朝霧, などなど、 語り尽くせないほど印象的な出来事や幻想的な光景に溢れていました。 このようなイベントを公然と実施でき、それが社会に受け入れられている フランスの自転車文化にすっかり魅了されてしまいました。 フランス語なんてわからなくたって、自転車があればそれで通じる・・・。 なお、終了後の表彰式で、ランドヌール・ジャポンは初参加の国として 表彰を受けました。初参加は他にも数カ国ある筈なので、おそらくそれ らの中で一番参加者数が多かったのではと思われます。 その上でACPは、次回には日本人参加者を100人連れてこいと要請 してきました。2007年の夏は是非大挙しておしかけましょう。 それからジャポンのマイヨは会場で各国の参加者たちから目を付けられ、 「是非、交換してくれ」という要求がひっきりなしでした。 みんな1着しか購入していなかったので躊躇していましたが、いずみさん と山口Rさんは交換されていたようでしたね。 リキュー隊長、素敵なデザインをありがとう!! (次のターゲットはパリコレか?) Merci ACP! Vive la France!!
内海太祐
4514
0. 出走前まで (- 期待 -) 今回は日本でできる限りの準備はできたと思う.にわかではあるけどそこそこ 走り込んだし,装備も去年のTOTやいままでのブルベ,掲示板の情報などから できる限りのことはしたと思う. 自転車のパッキングは Ostrich のソフトケースで,これを使用している人は 結構多くて,4人くらいいたと思う.軽い割に必要なクッションはあるので今 後もし海外に自転車を持っていくときにもこれで行こうと思う. さて,空港に行き,皆そろって搭乗手続き使用としていると本多さん,丹治さ ん,平山さんたちが迎えに来ている.お仕事お忙しいのにありがたいことであ る.これでますます安易にリタイヤすることはできないな,と思いながら飛行 機に乗り込む.飛行機では寝ているうちにあっという間にパリ.疲れは感じな かった. 1日目(8/15)はパリ観光で体をならす.吉田さんに会ったのだが,自転車を盗 まれてしまったとのこと.私も恐くなったので簡単なワイヤー錠を手に入れる. 2日目(8/16)はサクレーのホテルに行くグループとプレジールに行くグループ に分かれたが,プレジールに行くグループはパリからプレジールに自走する. 西へ西へと向かい紆余曲折あって50kmほど走って到着.このホテルはBC州でア レンジしたもので,米光さんの99年のPBPレポートに載っているホテルと同じ である.ああ,これがあのホテルか,と思うと感慨深い. ホテルに着くと片桐さんがいた.片桐さんは8/15に直接プレジールに着いて, この日はカナダの人達と100kmも走ったそうだ.もう,本当に走るのが好きな 人ばかりだ. 8/17は検車の日である.朝ゴハンを食べているとレストランからLOOKの自転車 と大きな荷物を背負ったヒッピー風のお兄さんが通るのが見えた.山崎さんで ある.朝着いて,最寄り駅から自走でホテルまでやってきたらしい. 検車へは片桐さんの先導で皆で行くことになった.会場に着くとサクレー組も 一緒になって談笑する.いろいろな自転車が登場して面白い.タンデム,トリ プル,オーディナリー,リカンベントタンデム,カウル付きリカンベント,そ してローラースルーゴーゴーみたいな不思議な乗り物,ギアが3つしかないオー ルドファッションの渋い自転車… 自転車の博物館だ. 日本人は珍しかったのか,結構インタビューもあった.インチキな英語でやり 取りしたりしたが,バイクや足の写真を撮られた. 8/18はプレジール組はマヤさんたちが関戸さんたちに会いに行き,その足でスー パーやスポーツショップで買い物をして最後の準備.昼は皆で買いこんだもの を適当に分けてピクニック気分で食べる.マヤさんのスピードメータや澤田さ んのゼッケンの取りつけやらをした後私は山崎さんの部屋で寝るが,山崎さん と話をしているうちに結局あまり寝ないでいた.ギリギリまで休んで夕食会に 行く.食べたあとはすぐにサインである.長い列をならんで体育館でサインを すると外にはすごい数の自転車が並んでいる.ふと見ると日本人がまとまって 並んでいるが,気合いの入った泉さん,緑さん,小倉さん,鈴木さん,齋藤さ んなどは既にかなり前方にいるようである. すでに22時を回っているがスタートはできない.スタートする直前に22時45分 くらいにチェックをされ,スタートラインに並ぶ.アナウンスする人がいろい ろなことを言うと皆が盛り上がっている.ジャポンがどうとかいうことも聞こ えたが何を言っているか分からない.それにも関わらずだんだんと興奮してく る.前には先導者やオートバイがいる.私の周りには気が付くと山崎さん,坂 東さん,池田さん,管さんなどがいる. やがてスタートラインの帯が解かれ, フランス語で5,4,3,2,1… スタートである. --utsumi

1. SAINT QUENTIN EN YVELINES - VILLAINES LA JUHEL (- 疾走 -) スタートするとオートバイと車が先導してくれる.はじめの方は交通も規制さ れていて赤信号もどんどん通過していく.沿道の人も夜遅くにもかかわらず応 援してくれる.興奮状態からか思わず踏んでしまう.ここで少し待っていると, 山崎さん,管さんが前を引きその後に私や坂東さん,池田さんが続く.しばら くすると今度は坂東さん,池田さんが前を引き15キロ付近まで行く.気が付く とまわりは日本人ばかりだ.皆相当ハイになっているのが分かる. しばらく行くって田園風景のなかを進む.先導車がかなり先行してしまったの で,山崎さんに「先導車をあまり前に行かせるのはちょっとシャクじゃありま せんか?」というとそのままついてきてくれて先導車と少し間を空けて同じス ピードで進む. 気が付くと一緒に走っているのは山崎さんと私だけになっている.途中で澤田 さんを追い抜いたのに気付いた.なんでこんなとこにいるのかというようなこ とを聞かれたような気がするが,答える間もなく声は後ろになっていく.途中 何人かの日本人を見たような気がするが,そのまま疾走,ふと前方を見ると齋 藤さんにそっくりの人がいるなぁ,と思ってみるとそれは本当に齋藤さんであっ た.一声かけて疾走は続く. 道は非常に良い.山崎さんが「『泉さんを探せツアー』やりましょうか」と言っ たのだが,かなり前に出た泉さんをこの平坦路で捕まえるのは至難の業だし, おそらく彼も緩み無く飛ばしていると思うから無理でしょう,と答えた. 赤いテールランプがずっと続く.見える限りはずっと赤い光だ.自分が興奮状 態にあるのが分かる.「この光景は絶対に日本じゃ見られませんよね」と私が 訊くと山崎さんも「自転車乗りなら一度は出ることを奨めますね」と同意して くれる.赤い光の列を左から次々と抜いていく.ここまで我々は1台にも抜か れていない. しばらく進んでいくとさすがに少し疲れてくるが,そこでフランスの高速集団 が登場して我々を追い越していく.山崎さんに「どうしますか?」と聞くと, 「乗りましょう」と言うのでその高速列車に乗ってついていく.気が付いたら ほとんど前方に光はなくなってしまう.ほとんどついていくだけだったが,道 もよく分からないし仕方ない.山崎さんは「国際問題になりそうだったら引き ますけど」と軽い冗談を言うくらい余裕があるからまだ大丈夫そうだ.しかし, ここまででいったいどれくらい抜いたのか.おそらく千人は下らないのだろう. 私も山崎さんもすっかりハンターの気分になっている. このグループの先頭数人が突然道を間違えた.私と山崎さんは後ろに着いてい たので正しい道を進んだのだが,このグループを置き去りにしてしまう.今ま でひいてもらって申し訳ないので少し待って私が先頭を引く.あとはこのまま 進んでいくが,仮コントロールであるMORTAGNE AU PERCHE直前の坂で人がいな くなってしまう.山崎さんにあとで「あれは引きじゃなくて逃げです」と言わ れてしまったが,このへんが集団走行になれていない証拠で今後の課題といえ る. さてMORTAGNE AU PERCHEに着くと山崎さんもやってくるが,そこには何と泉さ んがいてかなり驚いている.私も絶対追いつかないと思っていただけに少し驚 く.最初に想定したタイムよりずっと速いので「やりすぎだな」と思っていた が,まだダメージはほとんどない.トイレに行って水を買って,ボトルに水を 移し替えていると石丸さんがやって来る.「君らオーバーペースだよ」と言わ れたが,それは自分でも分かっている. 泉さんが「いや〜,でも楽しいっすね〜」と言った.「だろ」と石丸さんも答 えたが,皆同じ気持だっただろう.ここまでは平坦路で道がいい.信号も無い. 気持良すぎる. 「でも,これじゃ全然もたないからこれからは少しスピード落として行きましょ う」と私は言った.MORTAGNE AU PERCHEを出てしばらくは28km/h程度のいいペー スだ.3人で走るには丁度良いスピードだ.これでもほとんど抜かれることは ない.しばらくすると速い多国籍と思われる集団が現われたのでそれについて いく.結構な人数になる.しばらくしていると山崎さんが集団からいなくなる. ここで切れると結構きついかも知れないな,と思ったが,僕と泉さんは降りる つもりは無い.追いついてくることを願いつつ列車は進む. どれくらい進んだときであろうか?山崎さんが追いついてきて「復活しました」 と言うとそのまま集団をひきはじめる.引くと言うよりアタックに近い強烈な 引きだ.あんまりやるとFR426の二の舞になると思ったが,案の定集団は崩れてし まう.「ここでそれをやるかなぁ」と思ったが,今度は私が前に出て集団を引 く. こんなことを続けていくと私と泉さんと山崎さんとフランス人が一人の4人の 集団になる.この人は我々の集団を利用したかったようなのでかなり引いても らったあと後ろで休ませてあげることにする.しかし,このフランス人の引き はかなり強烈で,後のことを考えるとちぎれた方が良かったのかもしれない. でも「ついてこいよ」というような態度をとられると後に引くわけには行かな い.しばらく先頭交代をしていると山崎さんはまたいなくなってしまう. しばらく私がずっと引いて最初のコントロールであるVILLAINES LA JUHELに到 着.私は例のフランス人も一緒なのかと思ったら後ろに着いているのは泉さん だけである.「あれ?例のフランス人どうしました?」と聞くと「仲間を見つ けてそこでわかれました」ということ.ちょっと泉さんにいつもの元気がない ので大丈夫だろうかと思ったが,さすがに引きすぎで無謀な走りに少しうんざ りしたのかもしれない.ちょっと無謀に付き合わせて申し訳ないことをしてし まった. ともかくこの最初の220km程度を7時間かからずに走りきってしまった.まさに 「疾走」である. もちろん,この疾走は続きはしない. --utsumi

2. VILLAINES LA JUHEL - FOUGERES (失速) 最初のコントロールポイントVILLAINES LA JUHELに着くとコントロールも食堂 もガラガラだ.80時間組はとっくにいってしまっているし,90時間組はまだほ とんど到着していないのだろう.ここで食事をとることにするが,しばらくし ていると山崎さんも到着したので一緒に食事をとることにする. ここまで速かったので少しゆっくり行こうというような話をしてのんびりと食 事をしたのだが,気が付くと1時間近くもたっている.そろそろ行きましょう か,というような話をして外に出ると山口さんがおり,さらに坂東さんも到着 している.小倉さんにいたっては既に出発してしまったということである. どうも長居しすぎたようである.我々も早速乗りはじめるが,食べすぎて眠く なったのと長く止まりすぎて足が固まってしまって回らない.やっぱりここで は軽く食べてさっさと出るべきだった.しばらく行くと小倉さんを捕えたよう だ.私は半分寝ていたのでいつ抜いたのかよく覚えていないが,「いってらっ しゃ〜い」という声が後ろで聞こえたのは覚えている. この区間は88kmなので固まった足をほぐしつつ食事を消化する区間にあてるこ とにする.徐々に意識もはっきりしてきて,足も回ってくる.あとは淡々と走 る.FOUGRESの次の区間は最短の55kmなので泉さんが「ここはさっさと通過し ましょう」と言ったので軽く補給をして次の区間に向かうが,山崎さんも程な く登場したので再び3人になる. 3. FOUGERES - TINTENIAC (回復) この区間も淡々と進むが333km付近でカメラマンが構えているので3人で肩を組 んで走り,そのショットをとってもらう.結構景色のいいところだし,気持よ く走る.この辺りはかなり余裕だ.ただ,淡々と進み荷物をいっぱい積んだ赤 ゼッケンのお兄ちゃんと,おじさんの集団と一緒に進む.山崎さんが辛くなっ たようで再び姿を消してしまう.泉さんもとても眠くなってきているようだ. 「その辺で寝てから追いつきます」と言っていたが,結局TINTENIAC近くで集 団を引き,刺激を入れるとすぐにTINTENIACに到着.程なく山崎さんも到着し て補給をする.食事をとると2人はテーブルで寝はじめてしまう.私もしばし それを見ていたが,見ていたら眠くなってきたので同じように寝ることにする. 4. TINTENIAC - LOUDEAC (大集団) この区間も淡々とした区間だが,集団と一緒に走ることになる.なんだか練習 の区間のようで,ピンク色のジャージを来た,元レーサと思しきおじさんと小 柄な女性が先頭の方で引いている.走り方がとても美しい.我々はのんびりと 後ろに着いている.やがてこの集団は巨大化し,LOUDEACに着くころには30人 以上になっている.小倉さんもこの集団に追いついてきて,日本はこの集団の 主要な勢力となっている.足はあまっているが,無理はしない.だれもこの集 団から抜け出すつもりはないようだ.まわりを観察しているとなかなか楽しい. この集団はわかるだけでもフランス,イギリス,デンマーク,ドイツ,イタリ ア,スペインそして我らが日本.他にも何カ国かいたかも知れない. LOUDEACに着くとサポートを探してみるが簡単には見つかりそうにない.泉さ んが「掲示板に出ているかも知れない」というので探してみるとゲートを出て 右に加藤さんと小泉さんが出迎えてくれる.とりあえずジャージを着替える. 少し食事を取り出発することにするが,小倉さんはここで寝ていくということ である. 再び私,泉さん,山崎さんの3人でLOUDEACを後にする. --utsumi

5. LOUDEAC - CARHAIX PLOUGUER (迷子I) LOUDEACを出るとアップダウンが激しくなってきているようで,泉さんが「行っ ちゃってください」と言うので山崎さんと二人で登りはじめる.デンマーク人 も一緒についてくる.風が強くなって来たので「一緒にローテーションしよう」 と言うと同意してくれる.このようにしてしばらく走っていると,前方に十字 路があり,左に曲がろうとすると,デンマーク人が「前だろう,こっちから走っ てくるやつを見た」というようなことを言っていたので信じて結構急な丘を越 える.丘を越えて十字路にたどり着いても印がない.「たぶん間違えたと思う」 と僕が言って戻る.山崎さんは少しここで休むようなことを言っていたが,こ こは先に行かせてもらうことにする.果たしてもとの十字路に戻るとこの道に は×マークがついていて間違いの道であることが判明.左を見ると印がついて いるのでやはり最初の私の判断が正しかったのだ.まぁ,ミスコースは往復 3km程度なのでそれほど大きな問題ではなかった. 丘を越えてこの十字路に戻ってくるとちょうどオダックスUKの集団がやって来 たのでその集団に乗ることにする.この集団は登りがかなり速く,しばらく走 るとデンマーク人もいなくなり,UKの人々と走る.するとしばらくしてシーク レットコントロールに到着. すると泉さんが「あれー,どうしたの?」と声をかけてくる.彼はすでにチェッ クを済ませて出発するところだったようだ.「道間違えまして」と言うと「ま た〜」という顔をして「結構間違えたんじゃないですか?かなりゆっくり来ま したから」と言った後「先に行っています」と言った.LOUDEACを出て間もな いので私もそのままスタンプを押してもらって再スタート. 走り続けていればそんなに大きな差はつかないが,迷ったりすればあっという 間にその差は無くなる.迷ったときは速度も落ちるし,位置確認などもあるの で経験的には通常の平均速度は半分以下に落ちる.ましてやそれでもとの位置 に戻るだけなのだから時間と体力の損失は大きい.だが,これも既に慣れっこ な私はほとんど落胆することなく走りはじめる.まぁ,何事も練習です. さて,山の中を淡々と走っているその時である.前方から車とオートバイがやっ てきたと思うと,あっという間に10人程度の集団が通りすぎていった.一瞬呆 気に取られたが,これは折り返してやってきた連中らしい.「これは完全なレー スだな.こいつら本気で1,200kmでレースしてるよ」とちょっと目眩をしそう な感動を覚えてしまう.本当に日本の100kmちょっとのアマチュアレースのよ うなスピードで走り抜けていったのではないだろうか?(それがどんなスピード か知らないけど) 翻って自分の弱いこと… と今更嘆いてもしょうがない.私はマイペースで行 くしかないのである.しばらくして泉さんを捕えてしばらく折り返しの集団の 話をした後再び別れて進む.やがて暗くなり,少し眠くなってくる.UKの集団 もばらけてしまい2人のUKのおじさんが私の前方におり,それをつかまえて10m くらい後ろをつくと少しずつ前にいる人を抜かしていく.前のおじさん2人の ライトが車のテールランプに見えてきたりしたので,眠気が進行しているなと は思ったが,このまま一人で走るよりはましだろうと思ってついていく. 完全に日もとっぷりと暮れて真夜中になった頃 CARHAIX PLOUGUER に到着.コ ントロールでサインして帰ってゴハンを買っているとと泉さんも到着.しばら く一緒に話しているが,泉さんは固形物が喉を通らなくなったらしく,携帯し たカロリーメイトがほとんど役に立たなくなったらしい.ポタージュに塩を入 れて,フランスパンを漬け込んで食べている.うまいものではないが,とりあ えず押し込むにはいい方法だろう. 食べ終わると泉さんはしばらくその場に突っ伏してしばらく寝ることにしたよ うだ.私もそのままさっさと行く気力は無かったので夜に備えて付き合う.し ばらくして起き出していよいよ折り返しの地BRESTへ向かう. --utsumi

6. CARHAIX PLOUGUER - BREST (夜間走行)

CARHAIX PLOUGUER から BRESTまでは86kmある.走りはじめであればまったく
問題のない距離だが,今となっては結構きつい距離である.普通に考えれば4
時間以内に着くので,CARHAIX PLOUGUERを出た時間から考えるとBRESTに着
くのは3時過ぎだろうと考えていた.しかし,まわりは真っ暗で道がどこにあ
るのか良くわからない.LEDライトは付いているが,やはり暗く感じるので電
池を換えようかと思ってタイミングを見ていたが,後ろを走る泉さんのライト
が明るいのでしばらくはその明かりを頼りに進む.

しばらくすると何人かが我々を抜いていくが,ここはペースを乱さず進むこと
にする.泉さんはかなり眠そうで,たまに話しかけるが,返事が返って来ない
ことがある.このへんがいいタイミングかと思い,電池を換えることにする.
しばらく走っていくと先ほど我々をすごい勢いで抜いていった人達が公園のよ
うなところで休んでいる.我々はそのまま進むが,ここから結構いい感じでペー
スが上がりはじめる.

再び列車が来ているので一緒に走っていた泉さんに「結構いいペースですね.
乗りましょうか?」と言うと,しばらく沈黙があった後,英語で「僕は日本語
わからないよ.でも君の友達は下で休んでいるよ」と言うのでふとみると,そ
れは泉さんではなく外国人なのでした.泉さんもLOUDEACでRMのジャージに着
替えててしまっているとこういうこともあるんですね.しかし,私の喋ってい
る言葉が日本語ってわかるとは,ちょっと驚きました.

しばらくペースを落として走っていると泉さんが追いついてくる.かなり眠気
がきつそうで,話しかけても無言であったり,ライトが左右に揺れているので
ちょっと危険だな,と思ってなんとなく話しかける.実際,薄情なことなのだ
が,そろそろBRESTに着く時間が気になり出していた.しかし泉さんも休むこ
とに決めたらしく「少し道ばたで寝ていきます.」と言った.ブルベカードを
見るとシークレットの枠が2つあったため,この区間にもまだシークレットが
あるのだろうと思っていた私は「それじゃぁ,シークレットで待っていますか
ら,気をつけて」と言って少しギアをかけて走りはじめる.

しかし,このへんまで来るとほとんどすぐに森を抜けて,開けた場所に出る.
一人で飛ばしはじめると何人かのフランス人とスペイン人の集団を捕まえるた
のでそれに乗ることにする.この集団にのってしばらく走っているとより速い
集団が来て,我々の乗っていた集団が壊れる.地形からみてもあと少しで
BRESTなので,この速い集団に乗ることにして,ついでなのでしばらく引くこ
とにする.やがて地形が登りにかかり,インナーにかけた瞬間にギアがはずれ
た.アウターにかけて直そうと思ったが,うまく行かず結局直らず,集団に置
いていかれてしまう.

# あとで帰国してから見るとインナーワイヤーのラインがずれていました.
# PBP前に自転車屋にオーバーホールだしたのですが,やはり自分で細かく確
# 認しなくてはダメですね.

さて,チェーンはそれほど時間をかけずになおすことができたので,再び気を
取りなおして登ると再度集団に追いつくことができた.下りも速いがBREST付
近では街灯があるのでそれほど恐くはない.最後にBRESTのコントロール前の
真っ直ぐな坂で,突然スペイン人が軽いギアで高回転で回しながら集団から飛
び出す.CPがどこかわからない私は「なんでここで?」と思ったが,とりあえ
ず坂で引き離されるのもシャクなので着いていく.するとそのスペイン人はさ
らにスピードを上げる… これを繰り返して最後の坂を30km/hを越えて登って
いると突然右手にコントロールが現われる.スペイン人は勢いあまって真っ直
ぐ進みそうになるが,気が付いて急に右に曲がる.私もそれについて右折.何
故か登りゴールのレースのようなCP到着となってしまった.

さて,早速チェックを済まし,外に出て石丸さんを探す.LOUDEACで聞いた限
りわりとわかりやすいところだということだったので見つかるのではないかと
思っていたが,人は出ていないし,車はすごい数だ.テントの近くだと聞いた
ような気がしたのでばらく外を歩いて後ろの体育館のようなところや,入口付
近のそれらしい車を覗き込んだりノボリを探したりしたが,真っ暗な中不審者
に思われそうな気がしたので20分くらいブラブラしてからあきらめて中に入り
掲示板を探す.中に入るるとボランティアの人もほとんどいない.おじさんが
「欲しいものは?」突然と片言の英語で聞いてくるのでちょっと考えてから
「コーヒー」と答えると指さしで方向をさすので見ると確かにコーヒーを売っ
ている.

コーヒーを頼みながら掲示板の在処を考えたが,ここで探して見つからないと
いとめげそうだし,人に聞くことはできそうもない.電話も考えたがしばらく
考えてから疲れてしまい,「致命傷になるものは渡していないし,もういいか,
石丸さんも寝てるんだろうな」と思ってコーヒーをのみ干し,シャワー室を探
してシャワーを浴び,寝床を探す.ちょうど5時半くらいだったので7時に起し
てもらうように寝床を管理するおじさんに頼んで寝ることにする.1時間半は
睡眠のサイクルとしては丁度良いのでここでちゃんと寝ることを選択した.

あっという間に眠りにつき,肩を叩かれると7時になる.当初考えていた60時
間にはあと27,8時間.もしかしたら何とかなるかも,と考えながら急いで折り
返しのスタートを切る.

--utsumi

7. BREST - CARHAIX PLOUGUER (補給不足)

BRESTを出るとちょうど明るくなりかけで夜の冷気が昼の暑気へと移り変わる
のが手にとるように感じられる.何だかすっかり別の日になったようで結構元
気に坂を登る.そういえばここまで坂に苦しんだという感じはあまり無い.最
高点への坂もどこだったのかよくわからなかった.鈍感なんだろうか.

さて,走りはじめてしばらくすると何だかお腹がすいてくる.ふと考えると
BRESTでは寝る前のコーヒー以外何もとっていないことに気付く.しまった,
と思ったが後の祭.補給できそうなところは見渡す限りどこにもない.ボトル
も一本ちょっとしかない.とりあえず温かくなってきたところでウィンドブレー
カを脱ぎ,持っていた補給食を食べる.走りながらも含めて合計でパワーバー
を2個,ジェルを2つ,スポーツバーを2本を少しづつ食べる.計算すると
1250kcalくらいだからたぶん次までは何とかなるだろうと思っていたが,体に
行き渡りはじめるまではややハンガーノックに近い状態になって来たのでペー
スを落としながら走る.水もそれほど無いので無駄遣いはできない.

しばらくして比較的大きな坂を登り下りしていると,反対側から山崎さんが
「内海さーん」と声をかけてくれる.このころから再び元気が出てきてようや
く補給食の効果が出てきたようだ.あとは特に何事もなく淡々と進む.この時
間帯,BRESTに向かう人達は結構いたが,BRESTを出てくる人は少なくほとんど
単独走行だった.やはり単独走行は記憶に残りにくい.

CARHAIX PLOUGUER 付近になったところで集団を捕まえる.ハンガーノック気
味になっていたときに抜かしていった集団なのでようやく元に戻ったというと
ころだろうか.CARHAIX PLOUGUER は結構ごちゃごちゃした街で車も多い.走
行していると突然先行していた車がとまったのでブレーキをかけたあとゆっく
り車の左側に出ようとしたら対向の車もやってきた.日本的感覚でいうと十分
余裕があったのだが,後ろからかなり年のオジサンにえらく怒られてしまった.
後ろから来る人のことも考えてちゃんとコールしろということらしい.確かに
その通りだ.ちょっとシュンとしてそのオジサンを先頭にしてコントロールに
向かう.判断力も落ちてきている.今後は市街を走る場合は経験者のあとにつ
こうと決める.

コントロールに着くと私を叱ったオジサンはコントロールのボランティアと顔
見知りのようだ.何やら話しているがわからない.私はチェックをした後,ちょっ
と悲しい顔をしていたかも知れないのだが,他の参加者から「大丈夫かい? いっ
ぱい食べな」と言われて,ちょっと元気が出る.実際ここでは結構いろいろと
取りかなりの朝食となる.ボトルにも水をなみなみとついで一安心だ.幸いな
ことに食欲は一度も衰えない.

さて,一人で食事を取っていると池田さんが私を発見してくれてしばらく談笑
する.吉田さんがリタイヤしたこと,マヤさんと澤田さんは別々に走っている
ことなどを聞いた.ここには結構日本人もいたようだ.齋藤さんもいたような
のだが,私は食べるのに夢中で申し訳ないのだが食べながら話を聞いた.

そろそろ出ようと思ったところで泉さんと遭遇.それほど離れずに来ているよ
うだから,復活してくれたのだろう.昨日の様子からかなり遅れてしまうので
はと危惧したが,やはり直前に1,200kmをやっているのが効いているのだろう.
不屈の精神で走り続けているようだ.この調子ならまたどこかで一緒になるか
も知れないな,と思いながらCARHAIX PLOUGUERを後にする.

8. CARHAIX PLOUGUER - LOUDEAC (楽走)

CARHAIX PLOUGUERを出てからLOUDEACに着くまではほとんど単独走行だった.
特に面白いことも起らなかったが,辛いこともなく,淡々と距離をこなす.
ちゃんと食べたため,体力的な回復も問題無い.

LOUDEACに着くと再び加藤さんと小泉君が出迎えてくれる.そろそろ補給食も
いらないだろうと思い,補給食とBENTO BOXを預けてしまう.この時点で800km
に近くなってきているが,まだ尻の痛みも問題無い.あと450kmと考えると気
分的にはかなり楽で,65時間程度で行けるのではと簡単に計算する.再びラン
ドヌール・ジャポンのジャージに着替えてさらに気分を替えて出発.

9. LOUDEAC - TINTENIAC (疾走II)
450kmを残し,45時間程度を経過している.足はまだ余っていて,昨日からほ
とんど使っていないので,どこまで行けるかわからないが残りの道程を思うと
いまのところ眠くないし,ほとんどフレッシュな状態に近いのでもしかしたら
25km/hで行けるかも知れないと思いつつLOUDEACをスタートし,低い姿勢を維
持しながら一定ペースで走りはじめる.この時点で見ると比較的平らなことも
あり巡行速度は30km/h程度だ.

LOUDEACから20kmほどのところで6人の集団を発見し,そのままその集団をパス
した.…つもりだったのだが,ふと見るとその集団が後ろにピッタリとついて
いる.3人はわりと若くて速そうな人だ.二人は初老の人で,おそらく昔のレー
サといった感じ,もう1人は若いが少し太めに見える.するとこの集団が私を
抜いてペースを上げはじめる.

「げげ,どういうこと?」と思ったが,このままあっさり抜かれては腹が立つ
し,この集団に乗っていけば楽ができるという計算も働いたかもしれない.こ
の集団と一緒に走りはじめる.しかし…あまりにも速い.メータを見ると平地
の巡行速度が40km/hを超えていた時もあるし,向かい風でも30km/hを超えてい
る.ここに来て一番速いかも知れない.登りは普段私が登っている時より1枚
以上は重いギアでないと回転数が上がりすぎてきつい.ふと見ると全員赤ゼッ
ケン.覚えているのは28x番という番号があったことだ(一応伏せておきます).
TINTENIACまで50kmちょっとだったこともあって,きついけどついていけば
30km/hを維持できるし,久しぶりに足を使ってもバチはあたらないとも思った.

この集団に乗りはじめてしばらくすると反対側から「内海さーん!」と呼ぶ声
がする.ふと見るとマヤさんがニコニコしながら走ってくる.時間が結構厳し
そうだけど,元気そうだな,それに比べてこっちは必死の顔してるのかな,な
どと思いつつ,頑張って笑顔を作って軽く手を振る.

走りながら若い人と初老の人はフランス人のようで,あとはイギリスx2,ロシ
アx1,オーストラリアx1ということらしい.しばらく走っていると平地のペー
スが30km/hに落ち着いてきて,若いフランス人が「このくらいのペースは大丈
夫か?」と聞いてきた.「ちょっと速いけど,大丈夫」そう言ってにっこりと
笑うと背中を叩いて,「O.K!」と言った.どうやら仲間に入れてもらえたみた
いだ.よく見るとロシア人はいなくなってしまった.

そのまま走っているとシークレットコントロールに到着.自転車を置いてチェッ
クをしようとする.ふとしたはずみでその集団に先行してチェックしていたオ
ジサンの自転車を倒してしまう.「しまった!」と思って自転車を捕まえよう
としたが,自転車の倒れる方が速かった.大事な自転車倒してしまって,フロ
ントバッグから少し荷物がこぼれたのでえらく怒られてしまったが,しょうが
ない.これでトラブルあったりすると問題だし.一応soryとは言ってみたけど,
フランス語で謝る方法はわからない.そのオジサンはほど無くして自転車の無
事を確認して出ていった.でも,大事な自転車のわりには立てかけ方ちょっと
甘くなかったかな.

集団にいたイギリス人が「仕方ないよ.でも,まぁ,気をつけて自転車は扱わ
ないとね」というようなことを言ってくれた.こんな時にも集団というのは精
神的にも救いになるものだな,と思いつつ自分達のコントロールのチェックを
済ませて再出発.しばらくすると先ほどのオジサンがいたので,先頭を引いて
パスする.別に嫌がらせじゃないけど.シークレットからは平均33km/hくらい
で残りの区間を走ったようだ.きつかったけど距離をあまり感じずに
TINTENIACに到着.

到着すると集団の一人が「僕らは20分後にスタートする.一緒に来るなら20分
後にここに来い」と言った.ふと見ると即座にサポートらしき人達がボトルを
勝手に詰め替えている.そういえば全員えらい軽装だった.どう考えてもこの
ペースで走っていたら人達このへんを走っている人に見えないけど,どういう
ことなのかな.と思っていたが,なんとなく区間ごとに練習をしているように
も見える.もしかすると夕食や睡眠はバッチリ取っているのかも知れない.

私はとりあえず「O.K.」とは言ったが,はっきり言ってこの一区間の80km程度
だからと思って足を使ったので,もう一区間付き合わされたら持たないかな,
と思いはじめていたので少し考えてしまった.実際,補給食を預けたのはCPで
十分な補給ができるからと思っていたのだが,20分では水くらいしか替えられ
ない.とりあえずコーラと水を買って,コーラを飲みながら「うーん,サプリ
メントとか補給食ってこんな時のためのもんじゃないかぁ!!」と判断が裏目
に出たのを恨む.やっぱりサプリメントと多少の補給食くらいは全部携行して
もたいした重さにはならないんだし,持っていくべきだった.

さて,結局この区間の補給はコーラ一本.でもこの集団に着いていけば8/20の
私の誕生日中には確実にFOUGERESに着ける.この誘惑に勝てず,20分後にその
場所に行くが集団はいない.もしかしてもう行ってしまったのかな,と思った
のでTINTENIACを後にする.それに,もし後から来たって絶対彼等は追いつい
てくるだろうし.

後から考えると,このたかが55kmと思っていたこの区間の判断ミスが最終到着
時刻を大きく狂わすことになるのである.

--utsumi

9. TINTENIAC - FOUGERES (闇-疾走III)

TINTENIAC を出てしばらくは高回転でペダルを回すフランス人のおじさんと一
緒に走る.しばらくしておじさんはいなくなってしまうが,寒くなってきたの
でレッグウォーマーとアームウォーマをつける.道端で夜の準備をしていると
高速集団が通過していく.通過しながら「一緒に来いよ」と言ったので急いで
準備をして集団に追いつき走りはじめる.比較的落ち着いたペースだ.

しばらくして日は落ちはじめライトをつけて走りはじめるが,真っ暗な区間な
ので道が良く見えない.しかし集団は暗い中をライトを点灯しながら高速で走
行していく.さすがに速度は落ちているが.彼等は道が見えているようだ.対
向車などがあるとフランス人のおじいさんが何やら叫んで集団が整列する.ど
うやら自然にそういう決まりになっているようだ.

しかし,暗い道は恐ろしい.突然何かに乗り上げて少し飛んだかと思うとラッ
トの死骸だった.いつものように肩が緊張してくる.道も狭いので集団の速度
は30km/hを切っているが,それでも相当高速に感じる.私も水を取るのをほと
んど忘れてついていくのに必死だ.この集団を逃すと道の暗さからおそらく相
当速度が落ちてしまうに違いない.

しかし,気温は下がってきているので体力的な消耗は比較的少なくてすんでい
るのかも知れない.必死でついていっていると時間を忘れていて,気が付くと
FOUGERESに近づくき,街が明るくなる.ほっとして水を飲み,肩を回し,リラッ
クスしているとコントロールに到着する.

コントロールポイントでチェックを済ますとボランティアの人から声をかけら
れる.かなり人懐っこい感じのお兄さんだった.しばらく話をしていると,そ
れから日本人参加者を他にも知っているということ,その人は自転車を盗まれ
た髪の長い女性で,既にリタイヤしてしまったことなどを教えてくれた.「そ
うか,吉田さんリタイヤしてしまったんだな」残念に思ったがやはり自転車の
ことは大きいだろう.モチベーションも下がってしまっていただろうし.

そんな話をしているとそのボランティアのお兄ちゃんがもう一人の参加者を呼
んで紹介してくれた.オーストラリア人で,結構若そうなインテリ風の人で,
名前はスティーブさんという.一緒に食事をすることになった.私はそろそろ
お腹もすいていたので結構多めに食べた.

話しながら,フランスの道やドライバーの素晴らしいこと,オーストラリアの
道も彼が普段走るところはあまり広くなくて,結構混雑して走りにくいことな
どを話してくれた.「それからPBPを走りきるには足じゃなくて心と,それか
ら頭だよ」と教えてくれた.これからどうするのか聞かれたので,とりあえず
次のコントロールポイントまでは行って,次で寝たいと言った.しかし,今は
下が見えないのでおそらく4時間はかかってしまうだろうと私が言うと,彼は
一緒に行ってくれると行ってくれた.名前を聞かれたのでタイスケだというと
「Steve and Taiで頑張ろう」と言ってくれた.さらに「僕のライトは明るい
から大丈夫だよ」と言って握手してくれた.これならおそらく4時くらいには
次のコントロールだから,そこで2時間半ほど休んで残りを10時間で行けば翌
日の17時くらいにはつけるかな,と読んだ.

さて,彼はさっさと食事を済ませてしまったが,私はまだ結構あったので彼が
さっきの場所に行っているよ,と言って席を立った.私は「うん」と返事をし
た.少し時間がかかったが,とりあえず食事を終えてみてから,さっきの場所っ
て,どこだっけと思って食堂の前と自転車置き場とはじめにあったコントロー
ルの付近とまわったが,既に彼の姿はなかった.ちょっと探す順番を間違えた
かも知れない.「悪いことしたな,もしかしてまだ会場にいるんだろうか?で
ももしかしたらもう行ってしまったかも知れないな」そう思ってコントロール
の付近のテーブルで,どうしようか悩んでいると眠気が襲ってきた.

仕方ない.ここで休むかと思ってマットの上に寝て,ビバークツエルトにくる
まって寝ることにした.ここで本当だったらシャワーでも浴びておくべきだっ
たのだろう.BRESTで補充するはずだったアソスのクリームも切らしてしまい,
レーサーパンツの替えもない.寝転びながら,尻の痛くなりそうな予感がして
いたのだが,もはやこの状態から何かを行動を起す余裕は無くなり,やがて意
識が遠のいていった.

--utsumi

山口哲生
4515
 
澤田伸子
4516
 
井手マヤ
4517
皆様今晩は。井手です。昨晩帰国してから、掲示板で熱烈な応援の言葉を読
み、感謝の気持ちで一杯です。皆様応援をしてくださり、有り難うございまし
た。平山さん、丹治さん、本多さん、お見送り有り難うございました。

私はフジェではかろうじて時間内にチェックポイントを通過したものの、もうすでに
力果て、早々とリタイヤしてしまいました。スタートからフジェまでの間は私にとっ
て、一番苦手な地形で、300kmに渡って永遠と続くアップダウンに脚力がついて
行けず、フジェに到着さえ出来ないのではと思いつつ、走っていました。とても辛い
区間でした。

フジェでは一晩ぐっすり寝てから、初めは同じくリタイヤしたアメリカ人の男性と二
人、途中からフランスを3ヶ月もツウ-リングしているアメリカ人男性がもう一人加
わり、3人で走り、8月20日20:00頃ようやくルージアックに到着しました。
452キロ地点に到着するのに、なんと46時間も掛かったのであります。

そもそも最初の行程、Montagne Percheまで走れたのも管さんのお蔭です。スタート
した直後からギヤチェンジが出来なくなり、最初の大きい坂で自転車を降りてパニッ
ク状態になっ
ていたところ、運良く後にいた管さんが声をかけてくださり,すばやくギヤワイヤを
交換してくださり、その上、翌朝7:00近くにMontagne Percheに到着するまで、
暗い夜道を一緒に走ってくださったのです。管さんには以前もたびたび救われてきた
私ですが, PBPでは本当にお世話になり,感謝の言葉もありません。

内海さんの走行記とはあまりにも違う私のフジェまでの道のり。脚力が有る無しでこ
うも道の印象が違うのかと驚かされます。勾配は一見緩いようで、しかし、私の場合

昇りの速度が直ぐに10−12kmまで落ち、下りではどんなにペダルを踏んでも3

kmくいまでしか加速できませんでした。従って平均時速はひどく遅くなり、下り
では稼げない、実に体力、気力を共に消耗させる起伏が続く地形でした。
また路面も日本の道路と比較して荒れていて、路面抵抗が大きく感じたのは私一人で
しょうか。

今回実は最初から完走は無理だと考えていましたが、せめてブレストまでは走るつも
りでした。
走れなかった理由を今自分の中で整理している最中です。PBPに参加して、自分の
走り方に対し課題が見えてきました。それをざっと書きますと

1)日本を出発する前に最低一回は1000kmを走るべきであった。つばきライン
や天城峠などを出発前は走っていたのですが, 600km以上の距離は未経験。4
月の600km、そして糸魚川以降の走りこみが足りなかったと反省しています。

2)上りの速度が早くなければ、PBP完走は無理である。

掛川600kmでは36時間内に走れたのは、新野峠と富士見峠以降の下り、150
号線の平坦な区間でスピードを出して、平均時速をぐーんと上げたからです。本来私
は坂が上れないのです。PBPでは参加者は皆ダンシングしながらもの凄い勢いで坂を
登っていた。上りに弱いのがPBPでは致命傷でした。

次回PBPの準備をするなら、高い峠を上るよりも伊豆一周など細かい起伏が続く地形
を求めて走りこんだほうが良さそうです。北関東や北海道、三陸海岸もPBPの練習に
は良いかもしれませんね。齋藤さんはPBPを意識して北関東のブルヘのコースを準備な
さったことを以前から掲示板などで知っていましたが、その重みを今改めて感じてい
ます。次回の北関東ブルベを走ろうかな。

ついでに言うなら、私は夜10:00スタートが辛かった。翌日夕方気温がどんどん
高くなる頃疲労感がピークに達したのも、20時間近く一睡もせずに走っていたから
で、今後は夜10:00スタートに慣れることも課題の一つです。

3)真っ暗やみの夜間走行は恐かった。
コンビニの明りがない、真っ暗な農道。村を通過しても真っ暗やみ。日本ではコンビ
ニが明るく、また街灯も明るい中を走っているので、暗闇での単独走行には不慣れで
あった。〔掛川ではいつも本多さんと走っていたので。)フジェに夕方7:00に到
着したとき (私は10:40分頃スタートだったので、かろうじてCPをパスしたの
だが、)足がもうパンパンに張っていた上に、Tintineac とLoudeacまでの単独夜間
走行になるのがいやでリタイヤしました。翌日フジェールーヂアック間を走って分
かったことは、それまでの区間よりも平坦で走りやすいこと。回りのPBP体験者もフ
ジェールーヂアック間が一番楽な区間だと言っていた。それがわかっていたな
ら。。。
 いずれにせよ、タンデムで参加している女性や、集団に囲まれて走ることができる
女性が実に羨ましかった。PBPを満喫するならそのための脚力をつけなければ。


4.補給
ずーとCPでのポタージュスープとパンで補給をしたのが正解であった。胃のトラブル
や吐き気はしなかったが,
ただ流動食が中心であったので息切れをしたのかも知れない。普段余り飲まないコカ
コーラがやたらと美味しく飲めたのが不思議。翌日Tinteneacで凄く美味しいソー
セージとフランスパンとビールを食べたり飲んだりしながら走ったら、断然元気が出
たので、もっとしっかりと食べるべきであったのかもしれない。しかし、日本で走っ
ているときほど食欲が湧かなかった。
 そう言えば、CPのレストラントではビールやワインがあって、飲んでいる参加者を
何人も見た。

5.休憩する場所が無い!
昼間とうもろこし畑の中を延々とアップダウンを繰り返しながらどこでトイレ休憩が
できるのか、本当に困ったことがしばしばであった。途中の村を通過しても、カフェ
が無い場合はグーと我慢して走っていた。男性は便利でいいですね。

いろいろと書きましたが、PBPに参加して本当に楽しかったし、チャンスがあれば、
また参加したいと思っています。

以上です。またブルベで皆様とお会いするのを楽しみにしています。応援有り難うご
ざいました。

小倉清
4518
埼玉の小倉です

PBP期間中に一度だけ迷子になりました。1日目か2日目の夜か覚えていないの
ですがバラケていたので2日目かな…?
街を出る時に何となく単独走になっていたのに気づ付かずに漫然と走っていて
右折ポイントを通過してしまったようです。
完全な郊外に出てしまいアップダウンを繰り返しても誰にも追いつかないし、
追い抜かれない…「これはミスコースをやってもうた!」と思い始めた頃、
長い登りの頂上で交差点が有り高速道路も見えるが方向も地名も解らない。
止まって困っていると対向車も停止しているので寄っていくと初老の夫婦者が
「PBPなら方向が違うぞ」と言うので、私『そうか、引き返す、ありがとう。』
すると「ゆっくり走るから車の後ろを付いて来い」というでは有りませんか。
私は『コースから外れるとまずい、ミスがわかったから引き返す。』と言っても
「心配ないから付いて来い!」「ゆっくりだから」の繰り返し。私はシークレット
ポイントの心配もあったがその時は潔くリタイアしようと決心し老夫婦の親切を
受け入れて車の後を追うことにする。15分程走ったところで自転車の集団が
走る道路に戻ることが出来た。老夫婦に礼を言い、めでたく3・40分のロスでコース
に復帰する、以後交差点ごとに方向版の確認に気を付けたのは言うまでもありません。

関戸芳二
3982
英国関戸です。 昨夜ロンドンに戻り、やっと落ち着いたところですが、いまだに眠くてぼけていま す。 皆様の応援のおかげで、天気も良く快調に走ることができました。途中で色々のこと がありましたが、200枚のデジカメでも記録しきれず、記憶の時間が未だに定かで ありません。作成していただいたグラフでどうにか全容がつかめてきたところです。 作成有難うございました。 澤田さんとは2回ほど夜間走行中心に同行しましたが、その頑張りには心打たれるも のがありました。その後1000kmまで行って無念のリタイヤでしたが、次回完走 は確実です。ほかのリタイヤの方も慣れない異国でのサイクリングですが、十分楽し んでいかれたと思います。 他の日本の方にはCPでは須藤さん、加藤さん、山口さんの3人、途中抜いたり抜かれ たりは吉田さんだけで、さびしい限りでした。次回は100名を越える参加で存在感 を示しましょう。 私の場合は地元に近いことと、チームのサポートで、3泊ともゆっくり4時間以上寝 れたおかげで、坂の連続もあまり気にならず、またずれの痛み以外は苦しむこともな く、感激のゴールができました。自転車の選手であったこともない、還暦一年前の私 でも、無理なく走れることが実証されました。 長期休暇をとるのに苦労し、長旅と時差のハンディのある日本からの参加の皆さん は、色々大変だったと思いますが、世界最大のイベント、4年後にまた会えることを 楽しみにしてます。 応援の皆さん有難うございました、参加に勝るものはありませんので、2007年に は挑戦しましょう。 ではまた、 関戸 Yoshiji Sekido

 

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