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MDXUレポート

 

★大会名:第12回MTB24時間耐久レース2004 in 小海/マイティデューロ・トゥエルブ

★開催場所:長野県南佐久郡小海町松原湖高原オートキャンプ場特設MTBコース

★開催日程:2004年10月9日(土)〜11日(月)

★主 催:MTB24時間耐久レース実行委員会

★共 催:(社)小海町開発公社

★後 援:長野県小海町小海町観光協会、日本マウンテンバイク協会

賞品協賛:※コース&会場レイアウト図参照

10月10日正午スタート・・・・・松原湖高原オートキャンプ場特設4.6kmコース・・・・・

参加33組190名・・・・・天候晴れ時々曇り一時雨(夜間濃霧注意報)

・・・・・記録69周回(24:16:50)・・・・・約317km(13.05kph)

 

12年目の回帰は台風によるスタート時刻の変更だった?!

 

台風22号の影響で会場設営が出来ず、土・日・月の日程の土曜日を全てキャンセルして2日間で実施することに。当日は台風一過の青空も一瞬で、夕方から未明にかけて断続的に雨が降り、特に午前零時前後のまとまった雨には、ライダーから中断を望む声も聞こえ、一時は10チーム程度しかコース上にいないという状況もあった。

12回目というのは干支で言うとひと回り、24時間ではハーフタイムとも言える。その12回目に第1回と同じく2時間遅れのスタートとなったのも何かの巡り合わせだろうか?しかし、当時とは大きな違いがあった。第1回の時は22時間を実施するのが精一杯だったが、今回はゆとりで24時間を達成できた。参加者の意識、地元の理解、スタッフの動きと、全てに進化していたのだ。

2日間の日程になり、早朝からの会場設営、コース修正、そして受付からスタートと、慌ただしい中にも緊張感があり、そこに居た全ての人が24時間を楽しめたのは間違いなかった。それはこれまでの集大成のような部分もあっただろう。しかし反省が無いわけではない。さらなる進化に向けて、24時間を走ることや、楽しむことの、次への展開のヒントを得た貴重な大会でもあった。

 

◆準備

今回の準備は企画段階から大幅に出遅れた。昨年末には会場を移す可能性もあったがそれは早い段階で消滅したものの、小海町や近隣で実施していたMTB関連のイベントが中止や開催地変更になったため、詳細の打ち合わせが6月に入ってからとなってしまった。それでも実施一ヶ月前には、参加チームや賞品協賛メーカーなど例年並みの数が見えて来て、またスタッフや地元の協力体制も整い、前夜祭の充実や残務としての入賞盾の製作を考える余裕が生まれたように思えた。ところがプライベートな理由になってしまうが、厳島神社の神殿を破壊した台風の被害が実家にもおよび、トロフィーの手配を忘れるなど、綱渡り的な状況に一変してしまった。

それでもコースレイアウトをマレットゴルフコースの配置を詳細に調べて正確に行うことができたし、申込事務局を現地に委託したけれど問題無く対応できたように、準備段階での改善も多少はあった。その改善が台風直撃の可能性のあった状況で、コースの再変更や当日の受付の簡素化につながったのも事実であった。

兎に角、コース設営を例年より一日早く仕上げ台風直撃に備えた。

 

◆決断、設営、そしてスタート

水曜日の午後からコース設営にかかり、天候に恵まれた木曜日にかなりはかどり、金曜日には5人体制で、草刈班とピット周辺設営班に分かれて作業し、雨の降り始めたお昼過ぎには一気に仕上げることができた。午後は案内看板設置等を、雨を気にしながら行うが、午後15時、17時と台風情報が発表される度にどうするか検討。また参加者から問い合わせの電話も相次ぎ、その結果、土曜日のイベントメニューは全てキャンセルにし、台風が過ぎ去るであろう日曜日の早朝から入場、受付、検車、試走、ライダーズミーティング、スタートと、一気に行うことを決断する。また、ピット設営やコース修正に余裕を持たせるため、スタートを2時間遅れの12時にし、レース時間は24時間のままとした。

土曜日キャンセル、2時間遅れスタートを決断した後、ホームページ掲示板にそのことを書き込む一方、Eメールや携帯電話で各チームの代表に連絡を入れた。ほぼ全チームに連絡はついたが、こういった緊急連絡も想定したいところではある。

土曜日、天候が荒れる前にコース整備と会場設営資材の搬入を行い、午後からはスタッフ宿泊用の貸し別荘にこもり、変更になったスケジュールを盛り込んだプログラムの編集や、受付キットの袋詰め、計測機材のチェックなどを行った。また一部のスタッフはオートキャンプ場管理棟に待機し、参加者が来場する可能性に備えた。案の定、約7チームが台風を承知でピットにテントを張って夜を明かしたのだった。

2時間遅れの正午スタートにしたことで慌てることは無かったが、会場設営のための早起きは必要だった。またスケジュール的に判断を必要とされたものに、ハーフタイムセレモニーの実施時間とエンジョイ12時間の中断時間があった。どちらもスタート時間変更に係わらず当初の時刻で行い、それぞれ「元祖ハーフタイム」「7+5=12時間」として変則的に実施した。スタートは本来なら土曜日のスーパーラップコンテストの結果でスターティンググリットを決めてウエイブスタートで行うのだが、今回はピットCのあるグラウンドの直線部分を召集場所として使い、ピットロードをパレードする形のローリングスタートを採用した。それらの変則スケジュールやスタート方法の変更などは、スタート1時間前のライダーズミーティングで説明した。そのライダーズミーティングでは中止になった前夜祭の担当だった共催の小海町開発公社の小池係長に改めて挨拶を頂戴した。

台風一過の好天の中、いつもと違う雰囲気も漂いつつ参加者が来場する。と言うのも、入場受付を省略し直接ピットへ向かうためだ。本部テント内の夜間照明の配線作業が行われているのも違和感があったが、2日間で実施するというのも良いかなと思わされた。参加者は、入場直後はピット設営に追われ、受付や検車は9時過ぎから慌ただしくなり、試走も10時台にやっとコースが賑やかになった。試走と平行してコース整備を行ったが、前日の多量の雨で、コース上で地形的に水の湧き出るポイントが数箇所あり、コース整備担当のスタッフはかなり気を使っていた。

そのコース整備スタッフは、第4回大会以降、PTUCC(職業能力開発総合大学校サイクリングクラブ)の面々が実走スタッフチームとして担当している。そしてその実走スタッフチームの第一走者の先導により、また当大会とは切り離せないミニFM放送を担当するプロジェクトガラパのMCのカウントダウンにより、ローリングスタートの集団が動き出し24時間は始まった。

午前中の天気予報は晴れ時々曇りだった。しかし、小雨もあって受付スタッフが右往左往する場面もあった。

 

◆サブメニュー

2時間遅れのスタートだったが、ファイブラップス以外は全て当初の予定時刻通りだった。

サブメニューには、ラップタイム等を競うレーシー系とは別に、エンジョイ系のものとして、参加型の「仮装コンテスト」「シェフコンテスト」「ライティングコンテスト」の3賞と、偶然性の「サンセット」「ハーフタイム」「サンライズ」の3トロフィー、それにピット機能を審査する「ピット審査」や小海町役場の協力による「クロスパーティ(煮込みうどんサービス)」などがある。さらに夜も眠らない“マウントサイドFM”では、昼夜を問わない応援リクエストや、深夜の眠気覚ましミッドナイトクイズ、定時の順位経過&トラフィックインフォメーション(コース状況報告)を放送して大会を盛り上げている。

参加者は当日入場でピット設営に追われたように見えたけれども、仮装では8チームから20名以上がコース上を賑わし、シェフコンでは7チームから14品目以上が審査員の目前に並べられ、ライティングでは審査員の眼力を惑わす強力な電飾が暗闇に舞ったように、常連の気合の入れ方は例年以上だった。

24時間という長さがあるから可能なサブメニューの大半はハーフタイムセレモニーで表彰をし、その後は走ることに集中するのだが、全てを楽しんだかは終わってみなければ判断できない。そんな全てを楽しんだ人に送られるのがマイティデューロ(MD)大賞だ。12年連続参加のチームが4組あったが、彼らには改めて敬意を表するとして、今回は奇抜なアイデアで勝負した3賞参加者が候補として残った。

MD大賞は、順位を加味して最終的に決めるのだが、今回は次回に向けて、募集カテゴリーを含む表彰内容や審査基準を再構築する時期にきていることを実感することに。。。。

 

◆レース展開は予想外の雨で・・・・

“募集カテゴリーを含む表彰内容や審査基準の『再構築』”というキーワードは、トップチームの周回数を基準とする完走賞を再認識するということなのだが、そのきっかけのひとつに、トップ争いでの雨と闇の微妙な影響や、各カテゴリーで入賞圏内の順位争いが同一周回で24時間を迎えたということがある。

スタートはピットロードをパレードする形のローリングスタート。本部・計測地点を過ぎ、車道を横断しマレットゴルフ場内に入るとそこから本格レースに突入。コースはマレットゴルフの「茂来山コース」と「八ヶ岳コース」を縫うように走りながら山頂まで上り、一旦熊笹の斜面を下って町道沿いの歩道を更に上り、別荘管理棟から羊小屋の芝生の丘を駆け下り、今度はマレットゴルフの「北八ヶ岳コース」を縫うように下り、本部前で車道を再び横断し、グラウンドルート、御神木ループ、ピットロードを回って計測地点という、シングルトラックが約七割の4.6km。距離的には当初5kmを目指して考えていたが、台風を想定して短くして例年並みになっていた。しかし例年並みの距離が、例年以下のラップタイムになることで、波乱のレースを演出した。

スタート直後のトップグループのラップタイムは17分を切る値で、ライダーから「ローテーションが短く休めない」との声が聞こえた。その状況下で強さを見せたのは悲願の総合優勝に燃える“#002 シャカリキ インディペンデント”だった。それに続くのが3連覇中の“#003 とれとれ選抜”と、新鋭の“#304 おティンコスキー”だ。この3チームは6時間経過時の18周まで同一周回であり、ファイブラップスの昼、夜、朝の3回とも競い合った。さらに上位2チームは夜明けまで同一周回を続けるのだが、夕暮れから未明にかけてドラマは起こった。天気予報は「晴れ時々曇り、所により一時雨」で、そんなに降雨を心配してはいなかった。ところが夜になって天気予報が「曇り時々晴れ、所により一時雨、佐久地方に濃霧注意報」と変わり、状況は一変する。

一周目からトップに立ったシャカリキインディは、ハイスピードコースで快調に周回を重ね、2位のとれ選に数分の差をつけて夕暮れを迎えるが、ライトシステムにトラブルが発生し24周目に逆転を許す。しかし、体制を建て直し2時間後の29周目に再びトップを奪う。ところが“元祖ハーフタイム”前後から断続的な降雨となり路面が急激に悪化する。すると夜間に入っても20分前後だったラップタイムが22分、24分、ついには27分台へと落ちていく。特に午前零時を回ったあたりの集中豪雨にも似た雨ではライダーから中断を求める声が相次ぎ、コース上には10チーム居るか居ないかという状況になった。その過程で踏ん張ったのがとれ選で、35周目に再々逆転。雨は夜半に小康状になり、朝には陽が射しはじめたものの、路面状況の回復が進まないという彼らにとっての追い風で、明け方の49周目にシャカリキインディをラップして勝敗の行方は見えた。

一方、最後まで目を離せなかったのが、レーシー・24(R24)の2位争いと、エンジョイ・24(E24)の上位争いだった。R24では総合優勝を狙うおティンコスキーはカテゴリートップを独走していたが、2位争いは最後までもつれ、結果は同一の58周回で24時間8分の“#303 シャカリキCATEYE”が2位、24時間15分の“#305 亀風船オハヨウございます”が3位となった。さらにそれを上回る熾烈な争いが24時間を楽しむことを目的としたE24で展開され、同一周回48周で24時間3分13秒と4分55秒という両者優勝でも良いような僅差で決着した。その“#410 UNS八王子”と“#403 ZERO TO TOP”には、最後までハラハラドキドキを演出したということで、特別賞が贈られた。

それ以外でも仮眠後の夜が明けてからの戦略で、リードを保つチームと相手の疲れを逆転するチームなどがあり、1周差順位も目に付いた。特にマイティマン・ソロ(MS)の2位・3位・4位は、39周・38周・37周と等間隔で、ライダーはペース配分をそれなりに考えながら走ったに違いない。

雨に左右された展開であったが、24時間用に開発した計測システムが安定していたから、その情報を元に各チームが作戦を立てられたと言えるだろう。MSのライダーは計測地点で立ち止まってライバルの情報を聞いていたし、2時間毎に張り出される途中経過には必ずメモ係りが飛んでくるチームもあった。それでも改良の余地があることは事実で、“募集カテゴリーを含む表彰内容や審査基準の再構築”には、計測システムの進化が前提であることも痛感している。

と書いているこのレポートは、計測データのログを読み取りながらの作業であることは言うまでもないだろう。もちろん、各チームの寒さや雨への対応を含めたサポート体制の進化も僅差のレースを支えていた。

 

◆残り2時間、そして、また来年!

ゴール!! シャカリキ監督 【2004/10/11 10:09:29[返信][削除]  なんですよね、いつもなら。今年はあと2時間。厳しい条件でのレースでみんな疲れてると思うけど、24時間を最後まで楽しんでください!”・・・・・24時間の交流掲示板への書き込みです。

そうなんです。いつもより2時間長いのです。・・・・・そんな訳ありません。2時間遅れのスタートのためフィニッシュも2時間遅れです。でもその2時間は長かった。いつもなら朝起きてフィニッシュという感覚なのが、もう1レースという感じ。気温も上昇し、ライダーにも疲労の色が。特にエンジョイ・12(E12)のカテゴリーでは、「9+3」が「7+5」になり、ペース配分が狂ったかも?

狂ったと言えばレース後の後片付けだろう。いつもならフィニッシュ後にのんびり感が漂う中、参加者はピットの撤収、スタッフはコースの撤収に取り掛かる。しかし今回はフィニッシュ後だと作業終了が日没になる可能性もあるため、ライダーの走っている最中に不要なコーステープの回収に向かった。それは参加者も感じていたようで、お見送りの時、いつもと違ったねと言われた。

先行回収の始まった中、時計の文字を何度も見上げるが、残り2時間からの1時間も長かったが、1時間を切ってからの5分毎が、乾ききらない路面の粘土のように感じられたのは自分だけではないだろう。

フィニッシュ1時間前にはフィニッシュロードが作られ、チームの最後を走るであろうライダーがそのルートを確認に来たり、また計測に24時間直前の通過のタイミングを確認に来るサポーターがいて、徐々に慌ただしくなる。30分を切ると残りで1周するか2周するかを大声で言い合うようになり、15分を切ると「あと一周!」とスタッフからも檄が飛ぶ。

そして24時間が近づきカウントダウンが始まり、計測地点通過を狙うライダーとフィニッシュロードへの切り替えを担当するスタッフのにらみあいの後、時報と同時にファーストフィニッシャーが現れた。(通過出来なかった?)

そこからは各ライダー、各チームのパフォーマンスや手荒い出迎えセレモニーが繰り広げられた。いつもながら感動を呼ぶシーンだ。初参加のチームにとっては、このバカ騒ぎに乗り遅れた感もあるだろうが、台風の影響でサポートが来場を見合わせたところもあり、完走することで精一杯だったのかも。でもスタッフで初参加の意見として「他の大会と変わりないと思っていたけど、完走シーンに思わず涙した」といように、24時間のフィニッシュは格別なのである。

昨年は表彰式で雨が降り、尻切れトンボのようだったが、今年は雨が降っても最後までキチンとやろうとスタッフ間で話し合っていた。すると昨年とは逆に、深夜の豪雨が幻だったかのように晴れ、終わり良しという感じの表彰式だった。その中で僅差の勝負を演じたライダーやチームから来年のリベンジや再挑戦を誓うコメントが相次いだ。またレーシー・2or3人組(R23)に唯一エントリーし競うこと無しに優勝した“#201 (有)塚屋(ヅカヤ)”は完走規定を満たしておらず半額招待権を逃したが、それでも力強く再挑戦を宣言していた。

そしてひと通り順位表彰が終わったところで24時間を最も楽しんだ人(チーム)に贈られるMD大賞は、台風で混乱した影響もあったのだろうか各チームともピット設営がいまひとつで、寒さ対策や雨対策に突出したチームが見られず、ピット大賞での加点・逆転がなく、蛍光塗料を体に塗ってライティングコンテスト(+仮装?)に参加した実走スタッフAチーム“#411 森の寅さん”の本多君が逃げ切り受賞した。(審査員しか見ていないとの噂あり!?)

 

台風に始まり、僅差勝負で終わった第12回のMTB24時間耐久レースだが、これまでの集大成と再構築の必要性を感じることができ、次回に向けてのエネルギーがより蓄えられたようだった。それはライダーのコメントやスタッフの意見でも明らかだが、賞品提供を頂いたスポンサーの中に今後を期待する激励の言葉が例年より多くあったのも追い風にしたい。

24時間とは「緊張感の中の楽しさ」と再認識したところで、地元関係者、スポンサー各位、少数精鋭のスタッフ、そしてライダー&サポーターの皆様、大会リニューアルに是非ご協力下さい。

2004年10月25日

MTB24時間耐久レース実行委員会企画担当兼実行委員長

石丸英明

 

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